Jさんに関する話

日本の大学の名誉教授Jさんが桂林で5年程生活していたそうです。                 私が桂林に行く2年前に日本に戻ったという事で、このため私自身は会う機会がありませんでした。

Jさんの話を、同じ日本人仲間数人から聞いた話として、書きたいと思います。

ただし、私が直接Jさんに会って聞いた話では無いため、ひょっとしたら、部分的に誤りや説明不足があるかも知れません。

彼が桂林にいた頃は、既に65歳を過ぎていた様ですので、大学名は 不明ですが既に退職し、名誉教授ではなかったかと思われます。 

息子さんや奥さんの反対を押し切って、先の戦争で日本の兵隊が迷惑を掛けた中国の人々、この人達の生活向上に少しでも役に立ちたいと言う強い意思を持って、桂林に来られたと聞いています。

ただなぜ桂林なのかは、私の耳には聞こえて来ませんでした。 

(1) 山での炭作り

少し話は逸れますが、まずYさんについて語りたいと思います。

Yさんと言う中年の日本人が長年桂林で生活しており、当時持帰りの寿司やおにぎりを扱う小規模な日本食店を桂林中心街で経営していました。

私も何回か会って、彼から本業以外のビジネスの話を幾つも聞きました。              例えば、ソ連で設計された航空母艦ヴァリャーグがソ連崩壊後、ロシア海軍が保有権を放棄しウクライナ海軍に編入されましたが完成せず、廃艦となりました。

屑鉄としてか利用価値が無いし曳航費も掛かると、非常に安く買い叩かれ、一中国企業(バックは中国政府)が購入しました。

しかし中国はその船を曳航・修繕して、中国海軍の航空母艦「遼寧」を完成しました。  

2010年前後の頃だったと思いますが、ロシアでは、従業員の給与も払えない程に経済的な困窮の度合いがひどく、中古大型船舶を修繕する費用も捻出出来ないため、Yさんは、これらの売り出された船舶をこちらで買い取り、解体し屑鉄を売るビジネスをこれから行うと言っていました。

間に中国政府や大手鉄鋼会社等が関与するならともかく、

①企業だけではなく、国の政府の関与が必然となるビジネスであること。

➁中古船とは言え、買取、曳航、接岸、解体の各段階でかなりの資金 を必要とすること。

➂製鉄会社等大手の屑鉄買い取り先を、中古船購入前に、見つけておくことが必須であること。

等を考えると、

彼が主体となって中国人仲間とやるビジネスには、どうしても思えませんでした。          他にも直ぐに大きな利益を生みそうな話を幾つか聞きましたが、とても信じるに足る話はありませんでした。

Jさんは、Yさんの言葉を真に受けてしまったものですから、Jさんの信用を大きく損なうこととなりました。 

Yさんが日本に一時帰国した時に、特殊な液体を日本から持ち帰ったそうです。話では、この液体を桂林の某山のある場所の土に振り掛け、焼くと炭が出来るとの話だったそうです。

JさんはYさんの軽妙な語り口と、謎の液体と某山の特殊な土との反応と言う内容から、話を信じてしまったそうです。

考えようによっては、石炭だって最初の発見者は、黒い石が燃えると思ったでしょうから・・・・。  ひょっとしたら・・・・と思うのも、考えられます。

( JさんはYさんの話が、口から出任(でまか)せの話ではなく、既に Yさん単独で実証済みのことと、誤解した可能性が高いと思われます。) 

そこで折角の驚くべき実験を2人だけで確認するのは勿体ないという事で、Jさんが3人の中国の大学の先生に声を掛け、Yさんの案内で、小高い丘にある現地に行ったそうです。

そして、特殊な液体をYさんの言う土壌に振り掛け燃焼させたそうですが、何回実験しても一向に炭が出来る様子はなかったそうです。

その為結果的にJさんは、貴重な時間を割いて来てくれた3人の大学の先生方からの信用を、大きく損なうこととなったそうです。

 

(2) 腐敗防止の特許

元琉球大学農学部教授の比嘉先生と言う人が開発したEM菌が、悪臭を消し汚水を浄化するという事で、商品化されていました。

(以前にBさんが、桂林市の汚水処理場に売込んだ商品です。)

Yさんが、EM菌と麺の素材となる米粉を混ぜて桂林ビーフン(米粉を原料とした細い面)を業者に作って貰ったところ、ビーフンは、腐敗せず食材として使用できる期間が、従来の2~3日から更に3~4日程、 約1週間も日持ちして腐らない様になったとの話でした。                     (他の方法としては、腐敗防止のため麺を冷凍庫へ入れて保存も考えられますが、小規模の零細ビーフン屋にとって、電気代も発生する冷蔵庫や冷凍庫を購入する余裕は無いのが現状です。)

これで多くの桂林の人に恵(めぐみ)を与えられると考え、中国で特許の申請を行ったそうです。

彼は、申請して1年程で特許が下りるものと考えていた様ですが、食としての安全性の証明を示した書類提出等があり、結果的には5年程の年数と多額の特許申請費がかかったそうです。 

特許の事で思い出したため、少し横道にそれますが、書き加えたいと思います。

私の知人が桂林で洋食店を4~5店経営しています。彼は40歳前後と若く、元々中国でも北の方の出身の人ですが、オーストラリアの大学を卒業しているので、英語が上手で、英文のビジネス書を良く持ち歩いていました。

彼は、桂林で小さなレストラン店の経営から出発し、今ではそれぞれの店が、桂林の若者の間で、非常な人気店となっています。

ここまで来るのに彼自身、従業員の教育には非常に厳しく、私から見ても、彼が店に来ると店員の緊張度合いも変わって来るのが、分かります。

最近は友達からの委託を受け、広州でもトップクラスの規模が大きい喫茶店経営を始めている様です。 

彼が『麦香坊(マイシャンファン)』という店名を北京の特許管理局に商標登録の申請をした時も、    いろんなクレームがついて、やはり5年程の年数とかなりの登録費用が掛かったとこぼしていました。

(3)麵製造機の持込

特許の申請をしたのと同じ頃、Jさんは日本から300万円程する麺の製造機を日本から持込み製造することで、より腐りにくいビーフンの販売を考えたそうです。

彼は、政府の役人と軍の幹部に声を掛け、その後のビジネス展開を計画していた様で、私の時とは異なり役人も絡む為、税関での審査も問題なく通過した様でした。

更に政府の役人の世話で、日本から運んだ麺製造機のパーツの置き場を確保し、じっくりと時間を掛けて麺製造機を組立・試運転をしたそうです。

麺の納入先としては、軍の食堂も考えていた様です。

その後、特許取得迄時間がかかったことが原因か、或いはJさん本人の一時帰国が原因か理由は不明ですが、麺製造機をKさん(『日本へのお金の持出し(1)』で、桂林のマンションを売却し、日本へ現金を持ち帰ったKさんのこと)の下で管理していなかった為、役人と軍人に機械を分解され、持ち逃げされたそうです。

Jさんは当初、裁判に訴えることも考えたそうですが、例え勝訴しても時間の浪費ばかりで得るものが少ないと判断されたのか、結局断念したとのことでした。                                         健康を心配する息子さんや奥さんからの強い働きかけもあったのだと思いますが、中国人に裏切られことのショックもあったのでしょう。ご本人の意思を実現することなく、日本に帰国されたそうです。

(Visited 209 times, 1 visits today)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする