【精進料理店】15.閉店のその後

リョウさんの話では、私が店を引き払った後、お寺のソウさんは自分なら団体客一人12元(日本円で200円前後)の単価で出来ると考えたらしく、直接店の経営に乗り出したとのことでした。

私は、店を引き払った後、暫く桂林の会社で働いていましたが、嬉しい事に、大連、北京、上海、成都の各社から来てほしいと声が掛かりました。結局、冬の間一時的に妻のいる日本に戻り、春から成都で働くことしました。

成都を選んだのは、勤務しようとする会社の社長の評判、現地の下見、私に与えられる裁量の大きさ、一時帰国時の休み期間の長さを基準にした結果です。

毎年冬の時期に、一時的に3~4ヶ月日本に帰国するのですが、その際は仲間2人とのビジネスの打合せもあり、必ず桂林に立ち寄ります。

店の契約解除から2年後に、日本への帰国の途中で、桂林のお寺を訪ねてみましたが、営業はしていたものの、昼にも関わらず、店内も暗く清掃も不十分で、とてもお客が頻繁に訪れるお店には、思えない状況でした。

また後にリョウさんから聞いた話ですが、お寺のある裏山は、昔国民党の兵士が共産党の兵士に取り囲まれた山で、そこでは多くの国民党(現台湾)の兵士が命を落とした所とのこと。兵士の自決も相次いだとのこと。

この為、昔から桂林に住む人には、血に塗られた山として、この地は店を出す上で、決して良い場所とは言い難い所とのことでした。

更にお寺の坊さんが祈祷師や占い師として、来館者から多額の金銭をせしめていて、評判が悪かった。(しかし中には、占いが当たり、お礼に多額の寄付をする人もいた。)

地元のテレビ局からも、過去にこの件で取材を受けていたとのこと。

この2件の話とも、お寺のソウさんは知っていたでしょうが、口にしにくい話ではあります。

2つとも、リョウさんが後から地元の桂林人から聞いた話だそうで、この様に目に見えない事実が埋もれていることを知ると、門外漢の私が評判の悪い所に店を出すことは、無謀だったのかも知れません。 

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