桂林市の概要

広西チワン族自治区の中にある、桂林市の位置は地図の通りです。

桂林市の面積は、日本の九州の3/4の大きさで、この面積に500万人の人々が生活しています。桂林市は、6市轄区・9県・2自治県から構成されています。(県の中に市が点在する日本と異なり、県は市の区割の一部にしか過ぎません。)

特に6市轄区は、桂林市の中心部を構成しますが、この面積は東京都の1/4の面積で、現在人口は100万人を超えていると思われます。

更に6市轄区を細かく見ると、中心となる秀峰区・畳彩区・象山区・七星区の4つの小さな区に人口が密集し、この4市轄区から離れるに従い過疎地的に農業としての耕作地が多くなっています。

近年、農村部から中心となる4市轄区への流入も激しく人口の激増で、4市轄区ではマンションの建設ラッシュとなっています。

私が昼間仕事をしていたのが七星区で、精進料理店を開店したのが秀峰区です。

もともと桂林の地は、秦の始皇帝が征服して桂林郡を設置したのが始まりと言われますが、269年始安郡始安県が置かれて初めて、現在の桂林の町が形成されました。(日本では、弥生時代の後期あたりです。)

長らく桂林は、省都としての政治・経済の中心でもありましたが、今は省都が南の南寧に移っています。

日本の3市、即ち熊本、取手、小松の各市とは姉妹都市となって、交流が図られていますが、中でも一番古い熊本市との結びつきが強く、今は100%中国資本となりましたが、熊本のニコニコ堂が桂林に微笑堂というデパートを作りました。

中国資本に経営が移った後も、デパートの名前はそのまま残っています。

漓江(りこう、リージャン)は広西チワン族自治区の東北部を流れる川ですが、特に桂林から陽朔に至るまでの景観は名高く、国家重点風景名勝区に指定されていることもあり、季節を問わず世界中から観光客が訪れております。

特に漓江下りの終点となる(桂林市陽朔県の政府所在地である)陽朔鎮(ヤンソーゼン)においては、ヨーロッパからの外国人も多く国際観光都市の雰囲気を醸し出しています。      日本で例えると原宿に似た雰囲気の街並みもあります。

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