自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い  (2)

成都の会社は、青羊区から武侯区に移りましたが、そこは10数年程昔は、Tシャツやポロシャツ(襟とボタンが付いているシャツ)の縫製工場でした。

工場の敷地面積もかなり大きく、入口の門は敷地の東と南にあり、両方の受付には警備員が詰めていました。敷地内には、従業員の為の5階建の寮を始め、工場建屋も天井が非常に高く平屋で3棟程と平屋の事務所棟がこれも3棟ほどありました。従業員の為の食堂も完備しており、私を始め会社の仲間も良く利用しました。                       東側の幹線道路からも工場建屋が見えますが、建屋の外壁に大きく『納税光栄』と税務署を意識した文字が書いてあり、白々しく感じられました。(大半の企業は脱税をしており、この会社が脱税をしていない訳はないからです。本当なら『脱税巧妙』と書きたいところです。)

私もここで造られたシャツのブランド名を聞きましたが、直ぐに忘れてしまいました。相手が私ではなく中国人だと、名前を言うと直ぐに分かる程有名なブランドだとのことで、当時は造れば造っただけ売れると言う状況だったそうです。

しかし出資者である経営者2人の内の1人が、利益配分で不満があったとのことでした。   その人はこれ程儲かるのであれば、2人でやるより1人でやった方が儲かると思ったらしく、 自分の資金を回収し、外に出て同じ様な縫製工場を作り、ライバルメーカーになったそうです。                                        その内に、国内でもいろんなTシャツやポロシャツのブランドが乱立する様になり、外に出た方が先に倒産し、残った方も赤字経営となり、人員を削減し縮小を計った様です。

その様な状況の中で、社長に建物賃貸の話が持ち込まれた様で、社長は、幹線道路から入って直ぐに位置する東側の500坪程の建屋面積(大きな工場1棟のほんの一部)を借りることにしました。3~4ヶ月の突貫工事でしたが、私はこの建屋面積を私が好きな様に内装工事を施し、ショールームと事務所、倉庫、トイレ等を作り上げ、日本人観光客向けに作り替えました。   建物の前には、かなり空いた土地があり、大型の観光バスが6~7台駐車出来る状況でした。

また当社が賃借した建屋の隣には、社長が資金を半分出資した韓国人の経営するショールームもでき、2社はそれぞれ日本人と朝鮮人を主体とする海外からの観光客を迎えることになりました。更に縫製工場の敷地内の少し離れた建屋では、自動車用バッテリ―の修理会社が入居したり、更に私が日本に帰国する時期には、競争用のカート―を運営する会社が入り、建物内でお客が爆音を轟かせ、お金を賭けて競争をやっている状況でした。             縫製工場の所有者は、社員を大幅に減らすと共に本来の縫製業から少しづつ、不動産賃貸業へ業容を変えて行きました。

韓国のショールームには、マジシャン『引田天功』にお下げ髪の形や顔や体形が、非常に良く似た若い綺麗な女性がいました。ある時、彼女の方から話しかけられました。       彼女はショールームに勤める前は、国際電話の電話交換手をしていたとのことで、英語が得意な女性でした。(ただ彼女の名前は、憶えていないため、ここではMさんと書きます。)   Mさんの話では、自分の知った日本人が、自貢の大学で日本語の先生をしており、成都には1週間に2回ほど来て日本語学校で教えているので、一度会いませんかと言う話でした。    私もそれならぜひという事で、電話番号を教えて貰い、成都で会うことにしました。

その人はKさんという人で、最初は自貢の高校にバスケットのコーチ―として、日本から来たとのことでした。その後、地元の理科系の大学から、日本語の教師として雇われ現在に至っているとのことでした。                                ただ彼の話では、日中関係が良かった頃と比べ、私が彼と会った2012年頃は日中関係も悪化の一途を辿っており、大学の教員も就業年数が制限され、ここ1~2年の内に解雇されることも想定し、成都の日本語学校で週に2日程教えているということでした。           ところが桂林師範大学でも日本語学科の生徒が集まらなく、学科の廃止乃至学科の募集中止も聞こえていたため、Kさんが勤務する成都の日本語学校も厳しい状態だと思われました。

中国では、学生も長期的な視野の下に勉強する人は少なく、目の前の就職で仕事が見つけやすい学科を選ぶ傾向にあります。日本語学科を卒業したら、観光ガイド・通訳、土産物店員、日系企業での通訳・営業・事務職等が就職後の仕事となりますが、日中関係が悪化すると特に日本からの観光客も少なくなり、就職にも悪影響を及ぼします。ですから英語学科や韓国語学科等は、逆に生徒が増える状況にありました。

Kさんとの雑談で特に興味深かったのは、自貢の高校に勤務していた当時の同僚(高校の先生)から、*銀聯(ぎんれん)カードを使い、しばしば食事の御相伴(ごしょうばん)に与(あずか)ったそうです。                                                                                                  高校の父兄が、同僚の先生に内申書の評価を高く書いて貰おうと、彼の口座に多額のお金を入金して来るので、それを使っていたらしいのです。

*銀聯(ぎんれん)カードは、カード決済を行うと即座に自口座から代金が引き落とされるデビットカードです。                                   中国では、金融機関における信用度を計る与信審査や信用情報の相互交換が未発達であることに加え、貧富の差が大きいことから加入に制限があるダイナース、マスターやビザ等のカードは普及が遅れています。今後普及するとしたら、海外に出かける機会が多い富裕層に普及していくことでしょう。

恐らく内申書で良い評価を書いて貰いたいと考える父兄は何人もいるでしょうから、相当な金額になると思われます。                               清華大学、北京大学、復坦大学等の中国の一流大学の入試は、全国一斉試験の中で、自己が希望する3大学を選び、点数の上位者から順に入学を許可される様なシステムとのこと。   また地方の大学の中には、高校の内申書の内容で最終的な合否判定がされる大学もあるらしく、このレベルの大学への入学なら父兄の賄賂が無駄にはならないそうです。       賄賂とカンニングを比べたら、どっちもどっちですが、カンニングは本人の心に後ろめたさを残し、また場合によっては試験に落ちると言う危険性も伴います。

話が更に逸(そ)れますが、桂林で知人の女性のガイド李さんから懇願され、小学生3年生の男女 2人に日本語をただで教えたことがありました。男の子はガイドさんの子供で、女の子はガイドさんの友人で不動産業を営む人の子供でした。ガイドさんは、(子供はまだ小学生ですが)自分の息子の能力を既に見極めたのか、自分と同様に日本語が出来るガイドにしたい、その為に早くから日本語を勉強させたいと言っていました。                   女の子は毎回自宅で復習をしていたため、理解度は早かったのですが、男の子は、家に帰っても全く勉強しないため、2人一緒だと中々先に進めませんでした。次回テストをすると言い聞かせても、男の子は事前に全く勉強をしていないばかりか、女の子の答案を覗き込み書き込む状態で、怒っても一向に直らないし、また体罰を加える訳にも行かないことから、(2人に対し私のマンションで半年ほど教えましたが)結局教えることを止めました。

カンニングすることに罪悪感を感じなく成長して行く、また多額の賄賂を親が払いマイルストーン毎の入学試験を乗り越えていくやり方は、自らの努力を怠り安易な方法を選択すると言う意味において、私には今の中国の『奪(だつ)の文化』と重なって見えます。

入学試験や就職試験での試験のカンニング方法も、単なる覗(のぞ)き見から、身代わり受験やスマホを使った回答入手迄色々ある様ですが、中国では多すぎる受験者のため、座って答案を書く受験者間の距離も近く、また監視する試験官が受験者と比較しても圧倒的に少ないことも、カンニングを助長する大きな要因かも知れません。

この話を日本で知人に話したところ、この種のカンニングはどこの国でも問題になっている様で、タイ航空の客室乗務員の採用試験では、横を向いても隣の人の答案が見えない箱、つまり受験する女性が頭から首までスッポリ、サイコロの様な前だけが見れる箱を被っているのが、テレビ番組で放送されたと言うことでした。

Kさんに対し、自貢に行って鹽(しお)の井戸を見たいと話しましたが、彼は『自貢は、恐竜でも有名な博物館もあるので、そちらも案内します。ここには日本人の学芸員もいる様なので、運が良ければ会えるでしよう。ただ鹽の井戸は、場所をよく知らないため、現地で聞きましょう。』と言いました。

交通手段としては会社の車を使い、チン運転手に運転して貰うことにしました。      スケジュールは1泊2日の予定で、Kさんと、Mさんと、私の3人で自貢に行くことにしました。ですから、以前私の会社のヒョウさんへ案内をお願いした件は、御破算になりました。

(Visited 278 times, 1 visits today)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする