恐竜博物館を見学した後は、鹽(しお)の井戸(以下「鹽井」と記述)を見学することにしました。ただ私以外の3人とも何処に井戸があるのか知らないため、車越しに現地の人に尋ねたり、目視で木で組まれた櫓(やぐら)を目標に、近くまで行きました。
昭和の30年代までは結構、鹽井が残っていた様ですが、時間も経っており、写真とは違い中々櫓を見つけることは出来ませんでした。 時間があればもっと多くの鹽井を見つけることが出来たのでしょうが、2ヶ所を見つけましたが、稼働はしていなく機械も含め、写真の様に朽ち果てた状態でした。 僅かに石碑が、鹽井跡であることを教えて呉れていました。
1888年より掘削開始。櫓(天車)の高さは、18m。安全性を保ち、日産3500㎥の天然ガスを産出。(鹽井では、無い様です。)
建屋の中に大きな歯車を持つ機械が設置されていましたが、これでロープを巻き上げて、鹽水を汲み上げていたと思われます。
近隣は、古びた農家の家々が見られる穏やかな丘陵地となっておりますが、昔はかなりの井戸の櫓が林立していたことでしょう。
写真を撮らなかった為、説明しにくいのですが、朽ちた洋風のコンクリート造りで、2階の屋上に大きな石のテーブルが置かれた家を見つけました。かってブラジルアマゾン川の川岸にあるマナオスがゴムの取引で繁栄した様に、この地が鹽の交易で財を成し繁栄していたころ、多くの人々がここで酒を酌み交わしていたのでは無いかと思われます。 時の流れと共に没落し建物も朽ち果て、気を付けて見ないと、他の家々と同じにしか見えません。
次に、胡錦涛、胡耀邦、劉少奇等多くの政治家も見学に訪れ、現在自貢の観光地ともなっている鹽井『燊海井(セン ハイ ジン)』の見学に行きました。
この井戸は、海抜341mの四川省自貢市大安区にありますが、宋時代に発明された地中に衝撃を与えて掘削していく技術を採用して、清時代の1833年から掘り始め、僅か3年間で1001mも掘削し、世界で初めて1000mを越えた井戸として有名です。この井戸を1001m掘った時、自噴井として黒い鹽水があふれ出たとのことです。 当時の技術として、アメリカでは約500m、ドイツでは200m程度しか実績が無かったため、中国の技術はずば抜けたものとして、近代の中国の政治家、技術者からも再評価されています。
更に鹽水と共に天然ガスも生産出来たとのことで、天然ガスは水分を蒸発させ鹽を作るための燃料として、長年にわたり使用されて来ました。
自貢における鹽井の歴史は紀元前からなのですが、時代を経るにつれ鹽(しお)の取引が盛んになり、中国各地から鹽商人が訪れ、清時代この地は、井戸掘りと鹽製造の産業が隆盛を極め、街は非常に繁栄しました。例えば、記録によると、1.2k㎡の中に198の井戸も稼働していた様です。
長年にわたり井戸を掘削し鹽水を汲みあげて来た訳ですが、最後には、鹽水も出なくなりましたが、これに代わり天然ガスを主目的として採取する様になりました。 ただこれも20世紀の中頃になると、自噴井の圧力不足で、ガスの生産量が落ち込んだことから、新しい技術を導入して天然ガスを採取しており、今も稼働中の様です。
ですから、写真の鹽水は他の井戸からの鹽水を、燊海井の天然ガスを使い蒸発させている訳です。ここでは鹽を生産し、販売もしています。 販売している鹽を私も小袋を1個購入しましたが、透析膜の使用や不純物除去等の化学的な処理をしていないため、真っ白という訳ではなく、黄色っぽい鹽です。
この鹽は、清を始め中国の歴代の皇帝にも献上されて来ましたし、また現代でも中国の一流料理人はこの鹽を利用する人も多いという事なので、味は良いと思います。 ただやはり色の問題からか、現代では主として漬け物用として使われている様ですが、値段はさほど安くありません。観光用として、竹のタルに入った鹽も売られていました。 量が多く値段の高いものは1個が120元(約1800円)でした。
以下『燊海井(セン ハイ ジン)』の写真を載せますので、ご覧ください。
他の写真と比べても、滑車を取り付けた木の櫓の高さは、18.4mと大変低い。掘削方法の技術革新や滑車を櫓のトップと地上の2ヵ所に設置したことによるものだと思われますが、解説を聞いていないため、正確な所は不明です。 石版の解説では、数百本の杉の木を下から上に向かい結束されており、主として鹽水を井戸から汲み上げる為に、使われていた様です。櫓は、4本の足と、12本の竹で編んだロープ(現物を見ていないため、私にはイメージしにくいのですが)で支えられている様です。
杉の丸太は、上に向かう程細くなり、隙間が出来る為、この隙間に更に新たな丸太を楔(くさび)の様に打込むことによって、高さ100m以上の櫓を作ることも出来た様です。 ここ燊海井の櫓の4足の一つだけ見ても、大人の4~5人分の太さがあります。
井戸から鹽水を汲み上げる場所。
土を掘削していく鉄製の道具で、槍先の様に鋭いものもあります。
清時代、掘削作業を指導する技師と思われます。
掘削作業における労働か、鹽水の汲み上げにおける労働か分かりません。
鹽水を汲み上げるため、ロープを巻き取る機械と思われますが、全て木や植物性ロープで、金属の使用がありません。
牛の力でロープを巻き上げ、地下から鹽水の汲み上げしていた頃の写真。 壮健な牛でも昼夜を問わず酷使されるため、3~6ヶ月で使い物にならなくなり、殺処分されたリ、疲れて死ぬ運命にありました。
外国からの機械導入により、鹽水の汲み上げの効率を計った。ロープを巻き上げるため機械の設置、試運転の写真と思われる。蒸気機関を使用したものかも知れません。
胡錦涛前主席が、人力での鹽水汲み上げる機械を触り、当時の労働に想いを馳せている。
2003年5月12日に胡錦涛前主席が、当地を見学。
小中学生の見学写真。地上の滑車部分と思われ、水を汲みあげるためにロープを巻き取っていたと思われる。(ただこの写真の場所はここには無かったので、他の鹽井での可能性もあります。)
鹽水から水を蒸発させるため、天然ガスを使い沸騰させている。余りの暑さから全員が裸で 仕事をしている。今で例えるなら、サウナの中で力仕事をしている様なものです。 現代では、これ程の過酷な肉体の労働環境は、見つけるのが難しいかも知れません。
私が見学した時の写真。まさに『塩釜』。
現在は枯れてしまい、ここで鹽水の汲み上げが出来ないため、他から運んできた鹽水を、ここの天然ガスで蒸発させ鹽を造っている。昔の写真と比べ規模は縮小していますが、ビジネスとしての生産規模は保っている様に思えます。 また目に見えた生産効率化の設備は感じられませんが、昔の写真とは異なり、裸ではなく洋服を着ています。また時間を持て余し気味に、座って水分が蒸発するのを待っている感じです。今は重労働から解放された感じがしますが、写真を比べても昔と今は何が違うのか、良く分かりません。
セメント袋位の大きさの袋に詰められ、写真の様に置かれていました。
敷地内の一風景。
敷地全景
*今回は色々調べることが多い上、結局理解出来ない所も多く、皆さんへ十分な説明が出来ないことを悩み、ブログの更新も捗らず申し訳御座いません。 有料でしたが説明員を雇い、十分な説明を受けるべきだったかも知れませんが、日本語の説明ではないので、果たして説明を聞いてもどれ程理解できたかは、疑問です。 私とKさんは日本人だし、韓国のショールームで働いているMさんは英語が得意な女性だし、 運転手のチンさんは日本語が全くダメだし、皆ちぐはぐで、日本語が得意な中国人がいないことが大きなネックでした。 ですから説明員を雇い、お金を払い説明して貰っても、きっと無駄な出費となったと思われます。
鹽井の歴史を見学する訳ですから、いつの時代のものかを理解せずに断片的に沢山の写真や 展示品を単に見ただけでは、頭が整理出来ないことが今になって分かりました。
櫓が、なぜ100m以上のものもあると思えば、他方で20mも無いものもあるのか? 汲み上げる時の容器はどんなもので、一度にどれ程の量を汲みあげていたのか? いろいろと 疑問は尽きません。