【精進料理店】5.人材確保

20161028104

お寺の経営者から、お寺に来るお客の為の店なので、精進料理だけの店にして欲しいと言われていました。桂林には精進料理店が3店舗しかないので、競争が少ないとの説明でした。

私は子供の頃、葬儀の後、毎日毎日1週間ほど続けて精進料理を食べさせられて嫌になった思い出があるだけで、中国で生活していても、中国の精進料理は食べたことがありませんでした。

お寺の経営者のソウさんが、親族やお寺の関係者を7~8人連れて精進料理をご馳走してくれるというので、出かけました。行った先は車で10分ほどの比較的近いお寺 (街の賑わいの中にあるため、こぢんまりとしていました) に併設された精進料理屋でした。このお店は予約制で、月の内でも限られた日にしか開店していないお店とのことでした。(月のうち、10日も開店していない店だったと思います。)

初冬の風が強く寒い中を出かけましたが、1階の大広間の中は、満員で熱気が溢れ、多くの人が円卓を囲み食事していました。白酒や桂林のリ―チェンビールもテーブルの上や床下に沢山置かれています。この店で配膳する人は10人程いましたが、全てお寺の信者さん達で、無償奉仕とのことでした。

私から見ると、料理そのものはそんなに安くないため、お寺の経営者に上手く使われている感じがしないでもありません。多くのテーブルには、大皿に盛った色鮮やかな料理が沢山出されていました。

私たちも同じようなものを食べましたが、桂林で大抵の料理店は小皿を求めれば出してくれるものの、元々小皿がテーブルに置かれていないことも多く、お客の殆どの人が料理を大皿から自分の箸で摑み、直接口に持っていくため、私には不衛生な感じは免れません。

このこともあり、特段美味しいという気持ちはしませんでした。

精進料理は、ご存知の様に肉や魚を使わなく根菜や穀物を使い肉や魚に形や味を似せて作った料理ですが、中々良くできています。(参考迄にパンフレットの切り抜きのため鮮やかさには欠けますが、私の店で実際に作った料理の写真を見て下さい。)

不思議なことに他人事の様に思え、果たしてこんな料理を私の店で本当に出せるのかと言う心配は、(失敗して元々と言う気持ちがあったためか)全くありませんでした。

中国の精進料理が大体理解できたため、料理人を雇うことにしました。

私の知っている桂林の中規模のホテルは、当時日本の神田にある会社が経営しており、各部屋は日本の出資者による区分所有という変わった形態の『幸運ホテル』という名前のホテルでした。

当時は、日中間の領土争いもなく、日本の旅行会社も良く団体の観光客を連れてきて賑わっていました。ここは日本人の仲間が懇親会などを開く場所でもあり、てんぷら等の日本料理を食べていましたが、ここの料理長は日本に修行に出かけた経験のある人でした。

私はここの料理長とは面識がなく、知人のレンさんの弟さんの紹介で、この人と会いました。この人は李さんという人で日本語が上手で意思疎通も十分な為、新人の教育をお願いし、私のマンションに来て貰い、料理の作り方を教育して貰いました。

新人は、新聞の広告か人づてか忘れましたが、リョウさんが4~5人集めてくれました。建物の内装工事中、工事終了後も暫くの間、私のマンションが料理教室となりました。

ただ李さんはホテルの料理長なので、私の店の料理長になって貰うことは出来ませんでしたが、彼の紹介で、北京の一流ホテルで働いた経験のあるコウさんを紹介して貰いました。

面接をしたところ、精進料理には自信があるとの話で、彼を月給2500元で雇うことになりました。コウさんやお寺の経営者のソウさんの話では、精進料理は最初の食材加工から始めると大変時間がかかる作業なので、今は大半を上海の食品加工会社から冷凍ものを仕入れ、味付けだけを店の料理人が行いお客に出しているから、時間は余り必要としないという事でした。

ただ味付けの上手い下手もあり、これでお客の評価は大きく変わります。

店の改装工事の進捗状況に合わせ、個人的な伝手(つて)を頼りに、ウエイトレスも4~5人雇い、何とかお店のオープンのための人材を確保出来ました。

後は店長ですが、中々適材の人がいなく、リョウさんの友人の崔さんに副店長になって貰いました。リョウさんが崔さんと知り合ったのは、2人が日本に来て、日本語学校に通っていた時同じ桂林出身であったことから、親しくなったとのことでした。

ただ崔さんは、人の指示に従うのは出来ても、積極的に人を引っ張って行くタイプではなかったため、店長には向かない人でした。

そこで、植木のレンタルをしている黄さんの勧めで、李さんという22~23歳の若い女性に声をかけました。この女性は、三里店という場所で喫茶店の店長をしていて、経理にも明るく正義感の強い女性でした。

私が彼女に来て貰う様お願いしたところ、『喫茶店の経営者には、昔世話になったこともあり、私の店には行けない。』と断られ諦めました。

しかし店のオープン後暫くして、喫茶店の経営者とトラブルがあったらしく、私の店の店長になりたいと言って来ました。突然の話でしたが、前の喫茶店を辞めた関係上、彼女の住む場所を直ぐに確保する必要が出てきて、アパート捜しに奔走させられました。

李さんのその後の行動については、私の『マンションの引越』の後半に書いていますので、 そちらをご覧ください。マンションの引越 | 中国の面白い出来事 (spacebank.jp)

店をオープンして1~2ヶ月後に、やっと店としての形を整えることが出来ました。

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