自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い一覧

自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い   (7)

ビジネスシーズを探すために、景徳鎮、烏義、広州を廻る10日間程の旅に出た話を書きましたが成都に戻り、併せて成都でも入手可能な比較的上質なお茶『武夷山の大紅袍(3~5世代の茶樹と予想)、『四川雅安の蒙頂山産の竹葉青』、『桂林市の羅漢果茶』、『安徽省寧国市産の杜仲茶』に加え、『四川省四姑娘山の乾燥マツタ...

自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い (6)-H

鹽管理役人と鹽商人 鹽(しお)は、生活必需品の一つであることもあり、周時代(紀元前11世紀)の初めから、政府の仕事として鹽の管理が始まりました。 特に中華民国時代(1912~1949)、国民党による統治されていた四川地方においても、軍閥に実効支配される地域が存在していたため、鹽売却によって得...

自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い (6)-G

鹽の輸送 発足間もない中華民国にとって、塩の専売化による大きな収入は、外国から戦費資金を借入れの際の担保としても非常に重要でしたが、当時の中国で最もよい塩は四川の鹽であり、更に四川の中でも自貢の井鹽が最高品質の塩でした。 また自貢の井鹽は、現代で言うと四川省、湖南省、湖北省、雲南省、貴州省等内陸...

自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い (6)-F

鹽の取引 清の光緒帝(こうしょてい 在位:1875年 - 1908年)の頃迄は、井鹽の生産者に販売と管理を任せて、役人が井鹽を集中管理することをしませんでした。 その後の中華民国統治の時代に入っても、生産者の申告による井鹽の生産量を基に納税額が算定されたことから、過少申告による脱税が横行しまし...

自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い ( 6 )- E

製 鹽 (鹽づくり) 明時代(1368年~1644年)に造られた竈(かまど)の前に立つ工場監督者らしき人物 の写真で1930年前後と思われる。1人は鞭(むち)の様な細い棒を手にしている。真ん中の坊主頭の人物は、身なりもきちんとしているため、役人と思われる。竈(かまど)の燃やし口が大き...

自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い (6)-D   (11/6,7 加筆・修正 )

大型機械の導入 18世紀後半(1750年以降あたり)からイギリスで産業革命が始まりましたが、蒸気機関も年を追うごとに効率の良い機関が開発されました。 イギリスからの海外向けの輸出がいつ頃始まったかは不明ですが、おそらくイギリスの直轄地だった香港辺りから、イギリスの蒸気機関の情報が自貢に齎(も...