日韓海底トンネル構想について (2026.3.20.加筆)

現在の対馬は、釜山から高速フェリーで1~2時間。

運航会社にもよるが、運賃は片道800円~3000円と割安。

対馬は人口3万人と過疎化が進んており、本島へ移り住む為土地を手放した人も増えつつあり、これを在日朝鮮人の手引きで、日本人名義で密かに買収された不動産も多い。

中には日本人立入禁止の韓国資本による新規リゾート施設も出来ている。         距離的に近いこともあり、コロナ禍前の対馬には年間20万人を超える韓国人観光客が来ていた。しかし泊まるのは韓国人経営のホテルや民宿で、島民の利益は少ない。

町は、道路標識や公共の建物等もハングルで、リトル韓国化している。

観光開発の為の土地取得に留(とど)まらず、自衛隊基地周辺の土地も購入されていることから、政治的目的を持った意図も懸念されるため、法整備を迅速に行い朝鮮人の土地買収に歯止めを掛けないと、対馬が竹島化するのは時間の問題と見る。

一方で韓国国内では、次の様な動きがあった。

2005年には、馬山市議会が、「対馬は韓国領土」とする条令を制定。
2008年には、50人もの韓国国会議員が、対馬は韓国領土として発議。

2021年4月、韓国・釜山市長選において、保守系で当時野党だった「国民の力」の金鍾仁氏が、日韓海底トンネルの建設を打ち出した。                       これは総工費は約100兆ウォン(10兆円)で、日本側が70兆~80兆ウォン(7兆~8兆円)、韓国側が20兆~30兆ウォン(2兆~3兆円)を負担するという案。

また戦後、密造酒の製造・販売、高利貸、パチンコ業(パチンコ店は、福岡県北九州を中心に当時は、数十店舗を所有)で財を成した在日朝鮮人の「安本三憲」の次男として生まれ、その後日本国籍を取得し、更にその後アメリカ国籍に変えたと言われている「孫正義」氏は、2017年に韓国と対馬・九州の海底トンネル敷設について、積極的なバックアップを表明している。

少し話が逸れるが、ヤフーニュースで、韓国のニュース記事が堂々とコーナーを設けて掲載されているのも、「孫正義」氏の指示によるものと推測される。               (「孫正義」氏については、ウィキペディアを参照して頂きたいが、初期のウイキペディアと比較し、近年特に、内容表現の改変が著しい。偶々夜間、NHKのインタビューに本人が出て来て、過去の思い出について話していたが、無収入の高校生であったにも関わらず、既に外車を7台保有していたと本人の口から説明があった。外車に7台に関わる税金や保管スペース、車検等の諸費用を考えると、日本人には考えられないお金の使い方となる。これは、親も含め、本人が日本に帰化していなかったと思われることから、所得税、相続税等の大半の税金が、日本で免税になっていたものと考えれば、合点が行く。)

2017年12月22日、対馬・厳原に在日本大韓民国民団支部の事務所開設(長崎新聞)のニュースが出た。https://www.oricon.co.jp/article/648690/ (現時点では、残念ですが、削除され閲覧できない。)

事務所の設置は、「孫正義」氏が2017年に韓国と対馬・九州の海底トンネル敷設について、積極的なバックアップを表明していることと連動していると思われる。(ただ日韓関係の悪化から、当面は韓国サイドからの具体的な提示は無く、密かな環境醸成に力を注ぐものと思われる。)

「孫正義」氏は、『今後は通信事業より、フアンド等を使った投資に重点を移す。』と言った。即ち将来海底トンネル開通の為にフアンドの資金を投入する可能性も考えられる。    (開通後は採算の問題も内在しているが、表面的には、フアンドの売却やトンネル開通後の通行料等での費用回収を図るものと思われる。)

まず、以下の動画を是非ご覧ください。

https://news.yahoo.co.jp/articles/20c4d37549c2773bd18f683aeb54d6c6be84a7a6

動画は、旧統一教会と海底トンネルのみクローズアップされていますが、私は動画制作者も 本質を見落としていると思います。                           単純に考えると、アジア大陸と日本が海底トンネルでつながることで、長期的に見て貿易や人的交流の拡大が期待でき、本来は中継地にしかならない韓国と比較しても、終点となる日本の方がメリットあるプランなんです。                                  しかしなぜ日本ではなく韓国が、日本人の政治家を巻き込んでまでも、非常に熱心に海底トンネルの建設をアピールし必死になるのか、ここに問題の本質が見え隠れします。

表面的には、旧統一教会が中心となって活動している様に見えますが、これは現時点で韓国政府活動を表に出さない為の、カモフラージュと私は見ています。

前述の韓国の地方議会や国会議員の決議表明のとおり、元々韓国のものだったと考えていた 対馬を日本から奪い返すと言う暗黙の了解が、既に多くの韓国国民に浸透していると思われます。

即ち時の政権がどの様な政権になろうとも、私には、韓国政府が対馬を奪い返すための手段として海底トンネルの開通を目指したいと言う一貫した流れの中で、日本人を騙しつつ、かつ日本の政治家や学者等の賛同者を増やしながら、動いているとしか思えません。

統一教会も、在日コリアン2世の「辺真一」氏も、孫正義氏も『対馬を奪いかえす。』ただこの一点を目標に、活動を行っているとしか思えません。

韓国政府が裏でやろうとしていることは、『対馬の寺から木の仏像を持ち去った朝鮮人の泥棒が、裁判で元々日本人が朝鮮にあったのものを盗み出したものである。これが今までずっと対馬の寺にあり、これを持ち帰った自分は無実であり、返還の必要性も無い。』と言う窃盗行動の正当性を主張する泥棒の発言に、瓜二つと思われます。                                 ただ木の仏像と異なり、対馬はまだ韓国に強奪されていない為、今であれば防ぐことも出来ます。

紆余曲折を経て仮に日韓海底トンネルが実現した場合、私自身は、海底トンネル開通は対馬の竹島化を促進し兼ねない、非常に大きい不安要因と見ます。 即ち、

日韓の海底トンネルが開通後ある日突然、対馬の居住者を人質にして対馬を韓国の領土の一部として併合すると共に、時を移さずして対馬と九州間を繋ぐ海底トンネルを爆破、封鎖ないし海水で満たし、通行不能にすることも十分に考えられる。

この対馬と九州間の海底トンネル封鎖により、自衛隊の対馬への緊急の増援が困難な一方、 韓国の釜山と対馬間は海底トンネルが封鎖されない為、韓国軍の対馬への進駐は、迅速に進められて要塞化も容易になる。

一方対馬の居住者を人質をとられた日本は、空爆もミサイル攻撃も出来なく、単に日本政府の遺憾砲だけの記者会見で、慌てふためく。

即ちこうして対馬を自国領土に併合後の韓国側のメリットは、島だけではなく領海及び接続水域の拡大もあり、韓国側が一時的に負担するトンネル建設費を遥かに上回るものになる。

近年の韓国の軍事上の動き即ち、日本の戦闘機へのレーザー照射、日本の小型空母への改造工事に合わせた空母の建造等に見られる様に、中国ではなく、特に日本を意識した軍事力の強化が際立っている。                                  これは竹島や対馬の占領のため、将来日本との局地的な戦争も視野に入れているものと考えられる。

一方で対馬島民を人質にとられた日本政府は、為すすべもなく対馬の現状変更を受け入れざるを得ないものと考えられる。詳しくは、後述の『九十九 智(つくも さとし)からAIジェミニへの質問』をお読み頂ければ幸いです。

以下は、朝日新聞のスクープとしてニュースとなったもので、一部自民党議員と旧統一教会との間で政策協定が結ばれたが、この中で宗教活動とは全く異質の『日韓(海底)トンネルの実現』も協定の中に盛込んでいる。(2022.10.20.)

他の4項目は、より踏み込んで言及したものでは無いのに、日韓トンネルだけが政策協定の内容が具体的で、単に一宗教団体の意思に留まらず、韓国の国としての意思がハッキリと読み取れる。

最後にこの海底トンネルのブログを読まれた方で、私の考えに賛同される方は、 是非とも多くの周囲の人々に私達の危惧として、お伝え頂ければ幸いです。

*観光や日韓交流の活発化で九州に多額のお金が落ちること、疲弊化している九州経済の起爆剤となる格好のプランであること、トンネル工事利権獲得のメリット等を餌に、福岡県、佐賀県、長崎県をはじめ九州の有力地方政治家等に対して、旧統一教会や韓国政府のフロントサイドからのアプローチが頻繁に為され、日韓海底トンネル建設に向け賛同者を日々増やしているものと思われます。

<参考記事>

①「韓国政権交代で、日韓トンネル実現期待」https://www.nishinippon.co.jp/item/n/938971/

2022年6月11日、九州と韓国を結ぶ海底トンネルの建設を目指す「日韓トンネル実現九州連絡協議会」の総会が開かれ、記念講演した日本人の三村光弘研究員が「日韓トンネルは日本をユーラシア大陸と地続きにする効果を生む」と意義を強調した、との内容。

現在の日韓トンネルは、佐賀県唐津市~壱岐~対馬~釜山で複数のルートが想定されており、海底トンネルで鉄道と道路の両方を通すプロジェクト。

②「韓国側で、日韓海底トンネルに最初に言及したのは盧泰愚大統領。1990年の訪日時に国会演説で言及し、海部俊樹首相に共同建設を持ちかけている。

金大中大統領も2000年に『日韓トンネルが建設されれば、北海道からヨーロッパまで結ばれるので、未来の夢として考えてみる価値はある』と発言。

森元首相は、2000年10月のASEM会議で、日本と韓国をつなぐトンネルを作り『ASEM鉄道』と名付けようと自ら提案。 (以上は在日コリアン2世で、トンネル開通に賛同の「辺真一」氏の発言)

③都道府県議、334人に接点 旧統一教会、8割超は自民

2022/12/4(日) 16:39配信

共同通信社は11月、全国の都道府県議、知事、政令指定都市市長を対象に世界平和統一家庭連合(旧統一教会との関係を尋ねるアンケートを実施した。

教団や関連団体などと接点があったとした都道府県議は少なくとも334人、うち自民党が8割を超えた。知事は13人、市長は9人だった。                       自民は所属国会議員の半数近くに接点があったと発表したが地方議員は調査していない。  教団側が地方政治にも浸透している実態が明らかになった。               来春の統一地方選で焦点になりそうだ。

旧統一教会は「政教分離の原則にのっとり、特定の政党や議員、候補者との間に組織的な関わりを持つことはない」とコメントした。https://news.yahoo.co.jp/articles/60b83ecac6683110b29f7377eebbe2f9d9a21eaf

『九十九 智 (つくも さとし)からAIジェミニへの質問』 (2026.3.20.加筆)

竹島を韓国領土に一方的に含める等を行った『李承晩ライン』が設定された時、韓国は日本人を人質にしたと聞いたことがありますが、本当でしょうか?                                              これが本当であれば、日本政府はその時、どの様な対応を採ったのでしょうか?

Gemini の回答

1952年に韓国の李承晩(イスンマン)大統領が一方的に設定した「李承晩ライン」にまつわるお話ですね。

結論から申し上げますと、ご質問の「日本人を人質にした」という表現は、当時の歴史的状況に照らし合わせると、実質的にその通りであったと言わざるを得ない側面があります。

正確には、「李承晩ライン」を越えたとして捕らえられた「日本人漁師」たちが、日韓交渉を有利に進めるための外交カード(人質)として利用されたという経緯があります。

  1. 「人質」と言われる実態                                                                                   李承晩ラインの突然の設定により、ライン内で操業していた日本漁船が次々と韓国側に拿捕されました。                                                                                                  留者の数:  約4,000人近くの日本人漁師が捕らえられました。                             劣悪な環境:  釜山の「韓国外人収容所(現・スヨン収容所)」などに閉じ込められ、                       不衛生な環境や食糧不足により、死傷者が出るほどの過酷な待遇を受け                      ました。                                                                                    韓国側の要求: 韓国政府は、これら日本人漁師の釈放と引き換えに、日本国内に収容さ                        れていた韓国人(密入国者や犯罪者)の釈放、さらには日本国内での                        在日韓国人の法的地位向上などを要求しました。
  2. 日本政府の対応と苦渋の決断                                                                             当時の日本は主権を回復したばかり(サンフランシスコ平和条約発効直後)で、軍事力を持たず、外交的にも弱い立場にありました。                                                        対応策  内容                                                                                                    外交抗議  度重なる抗議を行いましたが、韓国側は「領海侵犯」を理由にこれを拒否                    し続けました。                                                                                国際司法裁判所への提案                                                                                                       日本は国際司法裁判所(ICJ)での解決を提案しましたが、韓国側 が拒絶                   したため実現しませんでした。                                                         海上保安庁による巡視                                                             漁船の保護を試みましたが、武装した韓国警備艇に対し、当時の海保は                      十分な対抗手段を持っていませんでした。

最終的な決着(1957年の合意)

最終的に日本政府は、自国民を救い出すために韓国側の条件を飲む形で決着を図りました。「相互釈放」という形での譲歩;                                             日本国内で重大犯罪を犯した者を含む在日韓国人(強制退去対象者)約470人を国内に釈放しました。                                                                                                                  日本人漁師の帰還;                                                     これと引き換えに、ようやく抑留されていた日本人漁師たちが帰国することができました。

この出来事は、現在も続く日韓の漁業問題や領土問題の火種となっただけでなく、日本政府にとっては「自国民の安全を盾に取られた」という非常に苦い歴史的記憶となっています。

AIジェミニへの更なる質問

抑留された漁師ばかりが話として出てきますが、仕事などで当時、韓国内にいた日本人は、 人質にはならなかったのでしょうか?

Gemini の回答

鋭い着眼点ですね。「李承晩ライン」の話では確かに漁師の方々の悲劇がクローズアップされますが、当時の「韓国本土にいた日本人」がどうなっていたのかという点は、あまり語られない重要な側面です。

結論から言うと、当時、韓国本土には「人質」にできるほどの日本人民間人がほとんど残っていなかった、というのが実情です。

なぜそのような状況だったのか、背景を整理してみます。

1.終戦直後の徹底した「引き揚げ」                                                         1945年の終戦時、朝鮮半島には約70万人の日本人がいましたが、終戦から数年の間にそのほとんどが日本へ引き揚げました。

連合国軍(GHQ)の通達: 1945年末までに軍人・民間人の大規模な送還が行われました。    財産没収:  韓国側に残された日本人の私有財産は、米軍政庁を経て韓国政府に接収された 生活基盤を失った日本人は留まることができませんでした。

2.朝鮮戦争(1950年〜1953年)の影響                           李承晩ラインが設定された1952年は、まさに朝鮮戦争の最中です。                 民間人の退去:戦火を逃れるため、わずかに残っていた日本関連の技術者や民間人も、この時期   にはほとんど韓国を離れていました。                           入国の厳制限: 当時は日韓の国交がなく、韓国側は日本人の入国を極めて厳しく制限していま   した。仕事で滞在するにしても、連合国軍関連の特殊なケースに限られていました。        「外交官」などの不在:当時はまだ国交正常化(1965年)の前であったため、ソウルに日本        の大使館や領事館は存在しませんでした。                              連絡事務所の設置: 1952年にようやく「在韓国日本政府在外事務所」が設置されましたが、            職員はごく少数で、外交特権も不安定な状態でした。                    監視対象: 彼らは常に韓国警察の厳しい監視下に置かれており、自由な行動は制限されていましたが、数として「人質」にするほどの影響力はありませんでした。

結論:なぜ「漁師」だったのか

韓国政府(李承晩政権)にとって、日本から譲歩を引き出すための「交渉カード」として利用できたのは、確実に「生身の日本人」を確保できる手段、それが「李承晩ラインを越えてくる漁船の拿捕」だったのです。

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