ある時私が日頃行き来している日本人のBさん(当時は68歳位)に、黄さんから聞いた内容を話したところ、彼はこのレンタルビジネスに非常に関心を持ちました。 特にビジネスとしての利益率の高さが、彼を釘付けにしました。
私と彼とで、いろいろ思い浮かべることを話合いながら、桂林では成長に限りがあるから黄さんを誘い、上海に進出したら良いのではないかという結論に達しました。
具体的には、
①私とBさんは、主に日系企業を廻り、レンタルの営業活動を行う。
また同時に正月には、日本の門松を日系企業に売込む。孟宗竹や黒松は、桂林にも沢山あるため、これを材料に門松を作る。
➁黄さんは、日系以外の企業やホテル、料理店を相手に営業活動を行う。
③また観葉植物の仮置場として、上海近郊の農地を借り上げる。
⓸運搬、植物の管理の為、取り敢えず人を2~3人上海で雇用する。
⑤税金対策もあり、経理は、私が上海に会計資格を持った女性を知っているので、彼女にコンタクトする。
⑥初期投資費用は、3人で今後詰める。
という内容でした。
この骨子を基に黄さんを呼んで、Bさんのマンションで打ち合わせを行いました。
黄さんも桂林は、父親に任せれば維持出来るということで、非常に乗り気に思えました。 上海ではとても車が多く、リアカーをバイクで引っ張る訳には行かないため、彼は出来るだけ早く車の運転免許を取ると言いました。
起業の準備のため、取り敢えず3人で上海に行くことに決めましたが、日にちを決めても、中々黄さんが予定日近くになると都合が悪いと言い、上海に行くことが何回か順延になって しまいました。
最後にはBさんが怒りだし、結局空中分解してしまいました。
私も地図上で、日系企業が多い地域を基に、借上げ農地の候補地の選定や上海の不動産会社と事務所の選定に手を付け始めていました。
結局黄さんは自動車免許を取得しただけで、桂林から離れてビジネスを展開する気持ちは無かった様です。
しかし彼自身、上海進出に非常に積極的だっただけに、Bさんも私も裏切られた感じがしないでもありませんが、本人が乗り気でないと早めに分かって良かったのかも知れません。