自貢(ズーゴン)への誘(いざな)い (5)

次の日は朝から、昔は鹽(しお)の取引所と使用され、今は昔の面影を残しつつも、鹽の博物館となっている所へ出かけました。

###写真数が多い為か、文章と写真が合致しなく写真がしばしば飛ばされ、抜けることがあります。この時は《最新情報に更新》のボタンを押して見て下さい。###

まず現在の『鹽業歴史博物館』が中に併設されている西秦会館の写真です。余談ですが、左上の白い大きな建物は、私と運転手のチンさんが2泊したホテルです。           これは、自貢市の観光パンフレットを一部拡大したものです。

この写真は私が対岸より撮ったもので、当日は曇り空でハツキリ写っていないのが残念です。

1番目と3番目の2つの写真を比較して頂ければ分かりますが、昔は今より川幅が狭く、帆を降ろし半円柱を横にしたような幌を付けた沢山の船が写っています。                                  幌は恐らく、雨天時に鹽が雨で溶けて流れ出るのを防ぐ為かと思われます。                       城の様に見える建物が鹽の取引所ですが、この建物の右下が真っ白く広場の様になっています。恐らくここが船着き場だと思われ、鹽を小舟に積み込んでいたものと思われます。

文献によると、昔は川幅も狭く水量が少ないため、船を動かせないことも多かった様です。 このため川上に堰(せき)を作り水を溜め、堰に水が一杯になったら、小舟の船頭に時間を周知させたうえで、一気に堰を切り、水流で小舟を押し出す様なことを行っていた様です。

『鹽業歴史博物館』の入り口付近

入口の写真。博物館の正式名は、『自貢市鹽業歴史博物館』と書かれています。

最後に外人が写っている写真は、市の観光パンフレットより切取ったもの。

3枚の写真とも鹽井の櫓の模型ですが、鹽井からの汲上方法の変遷もあり、いろんな形の櫓が作られた様です。                                  掘削用の鉄の槍の写真は、既に見て頂いたものと同じだったため、ここでは省略致します。

対岸の建物が気になりました。成都に戻るにはまだ時間があるため、こちらも見学することにしました。ただこちらは、観光コースでは無い様でした。近くまで行って見ると、お寺でした。

建物と建物は、狭い通路と階段で繋がっていました。東南アジアの仏教寺院の影響からか、 日本の仏像とは異なり、金色のけばけばしい像が、安置されています。

仏像と言うより、剣を所持していることから、中国の歴史上の人物にも思えます。

また屋根は、タイやカンボジア等の寺院の様に、オレンジ色の瓦の4隅は鋭角で、各々が上向いた瓦となっていました。

メインとなる建物の屋根の真ん中に設置されていたものですが、それなりの云われがありそうですが、良く分かりません。(三蔵法師と思われる坊さんが、川を渡っている絵が描かれていますが・・・・・。)

また自貢市では800年以上の長きにわたり、中国の素晴らしい文化の発現として、毎年春節(中国の正月)には、提灯祭りが行われています。(日本で言うと鎌倉時代に始まった祭り)          自貢市では、数十の大型提灯のグループ群に分かれ、それぞれが1000個余りの提灯で飾られます。私たちは春節では無かったので、夜楽しむことが出来ませんでしたが、市の観光パンフレットには、次の様な写真が掲載されていました。機会があれば、見てみたいと思います。

次回は、分る範囲でもう少し鹽井について、聞いた話も加え、書きたいと思います。

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