工事を進めていく中で、突然仕事中の私にリョウさんから携帯電話が入りました。
『村人が沢山私の工事現場に押掛けて、工事を中止しろと抗議しており、どうしょうもない。これで2回目だ。前回は数名の人間だったが、今日は沢山100人近く押しかけてきている。』と言いました。
私は建物の内装工事だけなのに、なぜ無関係の村人が押しかけて抗議するのか分からなく、また1回目の抗議があったことも知りませんでした。 私は彼に、お寺の経営者のソウさんに、このことを連絡したのかを聞きました。既に彼には連絡済で、既にソウさんは問題解決で動いているとのことでした。
ただリョウさんは、日本人の私が出ていくと拗(こじ)れる可能性があり、暫く工事現場には来ない方が良いと言いました。 私は、なぜ拗れるのか、キツネにつままれた感じでした。
2~3日後、リョウさんから解決したとの連絡が入り、工事現場に出向き話を聞きましたが、要約すると以下のとおりでした。
(村人の主張)
この寺の建物は東と西に横長に伸びた形となっている。
そのため敷地を含めた建物の真ん中から東側は、A村の管理する区域の中にあり、西側はB村の管理する区域の中にある。私が賃借する部分は、B村のなかにあるため、『たとえ内装工事と雖も、B村の了解を得ないで工事することは許されない。』と言うのが、押しかけた村人の主張とのこと。
(リョウさんの話)
お寺の経営者のソウさんに、聞いた話として教えてくれた。ソウさんは、従来A村とは仲が良く、B村とは仲が悪かった。A村からお祭りの寄付や村道拡張のための寄付要請には応じたものの、B村からの寄付要請はことごとく拒否して来たことが影響している様だ。
この際B村は、私かお寺の経営者から、多額の金銭をせしめようとして、おしかけた様だ。 ただなぜB村とお寺とが仲が悪くなったのかの説明は無かった。
(私の推測)
この記事を書くにあたって思い出したことがあり、これがB村とお寺とが仲違いした理由に思われる。今仏教博物館の様になっている山の洞穴は、長さが800~1000mあったように思う。
私は一度、お寺側からずっとこの洞窟を歩き、立入禁止の表示も抜けて先に入ったら、塞がれた扉の間から、明るくなった出口があった。今思うと、この出口がB村側に続いていたのではなかったかと思う。
洞窟自体も、人が作ったものでは無く、桂林のあちこちで見かける鍾乳洞の一つと思われ、 天井が非常に高い所も多く、通路の幅も結構広い。
昔は、B村の人がわざわざ山越えをしなくて楽に行くことが出来る村道的な役割を持っていたのではないかと思えた。
しかし中国では、山にある洞窟は全て陸軍の管理下に置かれており、いろんな経緯の結果、今のお寺の経営者が使用権を得て直接管理する場所となってしまったこと、その結果B村の村道が消滅したとのこと、このことがトラブルの遠因だと思える。
(収束)
沢山のB村の人が押しかけたため、お寺の経営者は、B村のヤクザのボスに携帯電話で連絡し、お寺の工事現場に来て貰った。するとおしかけたB村の人々は、蜘蛛の巣を散らすみたいに、村に逃げ帰った。(私はヤクザのボスが来たのが、村人が押しかけた2回目の時か、或いは3回目なのかは分かりません。)
それ以降、村人が押しかけて工事の邪魔をすることは無くなった。
私の知らない世界、実効あるヤクザの力量にびっくり。 お寺の経営者が、ヤクザのボスにお金を払ったのかどうかは知らない。村人がテナント工事で金銭を要求するのも不合理なら、解決方法も日本では考えられない方法。
警察も裁判も無力で、末端のトラブルは力が全てという事か !
私が単独で工事していたら、B村の人にとんでもないお金を払わされただろうし、味を占めた村民は更にお金をふんだくろうと別の難題を持ちかけて来た事だろう。 以前上海でたこ焼店を開店できないか、可能性を中国在住のJETRO(日本貿易振興機構)の人に聞いたことがあったが、その時『九十九さん、あなたが上海でタコ焼きをするとしたら、1億円は覚悟しなさい。』と言われたことを思い出した。
日本人が前面に出て何かやろうとすると、利権絡みの賄賂や知らない落とし穴で、中国人にお金をむしり取られるのは間違いない。