マンションの引越

『時には日本から妻が来ることもあるし、私がビジネスで人を連れて来ることもある。しかし今のマンションは狭すぎるため、もう少し広いマンションに変えて欲しい。』と社長に頼んだことがありました。

社長も、『私の方で適当なマンションを探します。』と同意して呉れました。

しかし2~3ヶ月待っても、こういう物件があると示して呉れませんでした。仕方が無いので、リョウさんに頼み、会社に近い物件を捜して貰う事にしました。

不動産屋を通じ彼が見つけて来た物件は、裁判所の横にある桂林でも有名なマンションで、  偶然社長が住んでいる同じマンション群の中にありました。

(ただ社長の入居している建物は別の棟で、社長は最上階の半分ほどのスペースを所有)

私もリョウさんの案内で、下見に行きました。

私の借りる部屋は、7~8階建の3階で、エレベーターも階段もどちらも使用可能でした。

部屋は、8畳程のベッドルームが2室と、15畳程のリビング1室と10畳程のダイニング・キッチンが1室でした。通常鍵は必要ないものの、強盗対策のためか? 各室とも内側から施錠可能になっていました。

中国ではマンションを賃借する場合、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ダイニングテーブル、イス、ソファー、ベッド等全て揃っているため、入居者が持参するものは、寝具類や自分で使用する衣類や消耗品程度で良いため、引越しが非常に楽です。

陽当たりも良いので私も気に入り、リョウさんと一緒に契約書を持って会社へ行きました。

社長は40歳代のスラリとした美人の女性でしたが、リョウさんが契約書を見せサインして欲しいと言うと、早口で非常に大きい声で怒り出しました。

私は賃料が高すぎて社長が気に入らないのかと、一瞬思いました。

社長は、リョウさんに何処の不動産会社を通した物件なのか、部屋の番号などを聞き出し、メモを取り始めました。

そして何も言わず、ただ単に『この物件は、私が預かる。』と言い、そこで契約の話は、     ストップしてしまいました。

一週間程して社長に呼ばれ、リョウさんと契約書の事で話を聞きました。

その内容は、驚くべき内容でした。

要約すると次の通りです。

不動産業者の中には、貸し手と借り手とを契約書の書面上のサインだけで済ませるケースがある。即ち借り手には、貸し手との接触を拒み、不動産会社が貸し手を代行する。

こうすると不動産会社は、貸し手に約束した賃料に上乗せした金額を毎月の賃料として借り手に請求する。借り手は、貸し手ではなく、不動産会社へ毎月の賃料を支払い、不動産会社は上乗せした金額を差引いた上で、貸し手に払う。

即ち不動産会社は、契約時の貸し手側、借り手側の礼金各1ヶ月分以外に、毎月自社で上乗せした金額を契約終了時迄請求し続け、借り手はずっと払い続け、不動産会社は解約時迄ずっと甘い汁を吸えることとなります。

社長は、偶々同じマンション群に私の借りたい物件があったので、物件の所有者を捜し出し、不動産会社を通さず直接契約したとのことでした。

私も、唖然としました。

何せ、中国人のリョウさんさえ知らなかった現実なので、上海、北京などの日系企業の社員の為の住居確保も、同様に不動産業者に家賃をピンハネされているケースも多いと思われます。

序でに私の借りたこのマンションで、その後ちょっと困った出来事がありましたので、書きたいと思います。

精進料理店の人材確保の所で、『店のオープン後暫くして、喫茶店の経営者とトラブルがあったらしく、(李さんが)私の店の店長になりたいと言って来ました。突然の話でしたが、前の喫茶店を辞めた関係上、彼女の住む場所を直ぐに確保する必要が出てきて、アパート捜しに奔走させられました。』で留めていたので、この先の事を書きます。

彼女は、喫茶店を辞めた翌日に、『今日から寝泊まりする所が無い。』と言った為、寝場所の確保に迫られました。

あちこち手分けして電話で訪ね廻っていた時、副店長の崔さんから、『母親が、三里店近くにマンションを1室持っており、ここを社宅として借り上げたらどうか。』と言うことで、取り敢えず、彼女の荷物を運びこんで貰うこととしました。

相手が崔さんの母親なので、契約は後からでも良いと考えていました。私は、アタフタさせられたけど、これで1件落着と思っていました。

ところが4~5日後に、夜自分のマンションに戻ると、段ボール箱が3~4箱がダイニングテーブルの上に、また使っていないベッドルームのベッドの上には寝具が敷いてあります。可愛い犬の縫ぐるみも置いてあります。

一体、誰のものか? どうやって私のマンションに入ったのか? と思案していたら店長の李さんが、ニヤニヤしながら入口のドアから入って来ました。

彼女が言うには、『綺麗なマンションだし、ここが気に入ったので、出て行きたくない。』、『部屋代も要らないので、店の費用節約になる。』と言います。

そういえば、新人見習いが、ここで幸運ホテルの李料理長から教育を受けていた時、一人に合カギを渡していたのですが、静慮荘の内装工事が終わり、教育を店でやる様になっても、鍵を返して貰っていないことを思い出しました。

『カギは見習い料理人から、取上げたのかい?』

彼女は、ニヤニヤしながら意味ありげに、手持ちのカギを下に向け、私に見せました。しょうがないと、その夜は追い出すのを諦めました。

次の日、本業の仕事が終わった後店に行ったら、直ぐに崔さんから言われました。

『母親が怒っている。せっかく他の入居を断って入れてあげたのに、突然逃げ出したって。』

本当は彼女が悪いのだし、結局崔さんを通して、(日割+α)程度の家賃負担で我慢して貰いました。

しかし、私もこのままでは困る。

最初に李さんを紹介して呉れた黄さんに相談しましたが、彼は意味ありげにニヤニヤ笑って、中々他のマンションを探してくれそうもありません。                                                    仕方が無いので、当分2人のシェアハウスとして生活するしかありませんでした。

追記となりますが、当時の思い出として、記憶に残っていることを一つここに書きます。

[静慮荘の仕事を夜10時前後に終え、何処かで仲間とお酒を飲んだのか、夜遅く李さんがマンションに戻ってきました。                              多少、酔っ払い気味でしたが、50本か100本か分かりませんが、赤や白や黄色のバラの花が沢山束ねられた花束を両手に抱えて帰って来ました。                   しかし、余り機嫌が良くない様子でした。

どうしたのかと私が聞くと、『男に貰った。』と言います。                                         少しふら付きながら『大嫌いな、大嫌いな男から、手渡された。』と言います。      そして部屋の壁にバラの花束を何回も投げつけ、折角のバラの花が散り尻になり、無残な有様です。                                                                                                                  私は、『男の子も一大決心の下、大枚をはたいて買って君に渡した物だろうし、取り敢えず、彼の気持ちも考え、花瓶に生けよう。』と言いましたが、酔いもあり、直ぐに自分の部屋に入ってしまったので、後始末は私が行わざるを得ませんでした。]

結局、黄さんの世話で1ヶ月後にやっと出て行って貰い、ホッとしました。

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