ビジネスシーズを探す旅 (1)

日中関係の悪化が観光客の減少をもたらし、成都でも商品の売上げに影を落とし始めた為、 社長と打合せ12月初旬だと記憶していますが、ビジネスの種を求め旅に出ることにしました。
メンバーは、私と社長の信頼が厚い九寨溝の李マネージャーと、それからリョウさん(桂林から成都の会社に、私が呼び寄せた。)の3人です。
ビジネスのシーズ(種)は、予め私が考えていた品物について入手可能な場所を、李マネジャーが具体的に案内する旅になりました。

まず向かったのは、江西省の景徳鎮でした。景徳鎮へは、成都の双流国際空港から飛行機で行きましたが、直線距離で1700Km程度になります。(鹿児島最南端「佐多岬」から北海道最北端「宗谷岬」まで、直線距離にして約1,888km)
景徳鎮(けいとくちん;ジンダーゼン)と言えば、中国における陶器の産地として世界的に有名です。日本でも、以下の様な陶器が、蛍焼き等の名称で売られています。

成都からのどれ位の時間が掛かったかはっきり覚えていませんが、出発が遅れ深夜に景徳鎮の空港に着いた為、タクシーの運転手の案内で、その晩のホテルを捜しました。       ただ空港と、景徳鎮の中心部とが近かったこともあり、時間を掛けずにビジネスホテルに入ることが出来ました。
3人とも景徳鎮は初めてでもあり、結局4泊しました。
翌日は、景徳鎮の陶器博物館に行きました。

入口の全景


入館して直ぐ


宋時代(960~1279年)の陶磁器破片   地肌は、全体的に白が多い。
以下全て戸外の歩道近くに埋め込まれていた。


元(1271~1368年)時代の陶磁器破片    赤、青の自然を模写した模様等が描かれている。


明(1368~1644年)時代の陶磁器破片
白い地肌に黄色・緑なども少しずつ入り、より表現力が増した模様となっている。

清(1644~1912年)時代の陶磁器破片
薄緑、赤、黄色が地肌として使われるようになり、美しい陶器が製作された。

以下の3つの写真は、陶工作業場所や窯(かま)に行く途中の風景

陶工の作業現場では、ろくろを廻したり、型枠の中に粘土を入れる人、彫塑する人、絵付けをする人等が分業の形で仕事を進められていました。

これは見学者に、各作業工程を理解し易やすくする為にしているものと思われます。ただ私自身、工程を把握する為に順を追った撮影をしていない為、工程の抜けがあるかも知れません。

手で粘土をこねたり、ろくろを回して作る作業。

決まった型の中に粘土を流し込み、陰干しで乾燥させる前作業。

素焼きへの彫塑・絵付

写真(上)より、本物の方がずっと『良い男だ』と冗談交じりに声を掛けましたが、代々陶芸の家系で受け継いだ技術があるため、1代限りの陶芸家とは作り上げる物が違うとの説明を受けました。

日本で言うと、『第15代酒井田柿右衛門』と言った所かもしれませんが、私と同年代で気さくに話をしてくれるところに、親しみを感じました。

出来上がった青と白の磁器のことを、青花瓷と言います。

作業場の全景

展示品でかつ販売品。  四角いのは、陶板 。

窯の外側

窯の中(窯の中は、予想以上に広い)

4枚セットの陶板ですが、日本円で20万円強の値段。

陶器博物館の出口を館内側より撮影。
陶器博物館の見学だけで、略1日を費やしました。
日本では、殆ど売られていない陶板の美しさには、目を見張るものがあります。

翌日は、繁華街の高級品ばかり展示している陶磁器店を数店訪ねてみましたが、特に陶板の 作品の素晴らしさには、目を奪われました。

ただ値段が高いのと、重さがあり運送業者に頼んでも割れそうなため、購入を諦めました。 当時のレートを基に計算すると、日本円で42万円程度です。
さて遊んでばかりもいられない為、商品として扱えそうなものを探し、沢山の店を回りました。
数十軒の店を回りましたが、景徳鎮には数えきれない程沢山の店があり、歩き回るだけで疲れてしまいました。恐らく500~1000の店舗(核となる場所が幾つもあり、それぞれが離れて立地しているため全容が掴めません。)があるものと思われます。
写真が無いのが残念ですが、店の大小はあるものの、何処も洗練され綺麗なショールームとなっています。
中には、銀座の高級宝石店の様に展示する陶器を絞り込み、高価な商品を重点的に販売する店もあります。(骨董品ではなく、新作のオリジナル商品ばかりです。)
即ち、個人客にも販売しますが、殆どが特定の窯元と結びついており、ビジネス客をメインにしています。
お客も全世界から来ている様で、そのことは、ショールームで販売されている商品の形や、図柄から分かります。
私が想像していた以上に、従来からよく見かける中国風の商品では無く、デザインも垢抜けしたヨーロッパ風の、現代的なものが多いと感じました。                 私は自宅用として、ティーカップ、ポット、蓮華、皿等同じ蝶模様が入った厚みが薄い食器1セット分を購入し、会社へ郵送することを依頼しましたが、後日、梱包が不十分だったため、内2~3個を割れた状態で受け取りました。                       帰国時は、他の手荷物との関係もあり、結局手持ちで日本に持ち帰れたのは、以下の写真の皿で大小合わせて10枚ほどで、他は全て何人かの友人にあげました。

一通り見学した後、私は、観光客の持帰りも容易でかつ皿等よりも割れにくい湯呑茶碗を、 販売出来ないかと考えました。
そこで次に湯呑を中心に見て回りましたが、私達が日本で手にする湯呑茶碗とは、何処の店を見ても違うのです。
ですから、そのまま商品を購入しても、売れないと判断致しました。
ある店で、私が希望する湯呑茶碗の仕様について説明したら、明日、工房に案内するから、 そちらで詳細な仕様を話して欲しいと言われ、翌日工房へ行くことにしました。
市内にある陶芸学校の卒業生も多く、若い10代の20人程が絵付けの作業をしていました。
全て手作業で筆を使い、絵付けをしていましたが、下絵付け(紙に印刷したものを素焼きに押し付けた後外し、複写された部分をなぞっていく方法)を行なっていなく、教本を見ながら思い思いに描いていました。
ただ細線など微妙に細く難しい線もあり、目が良い若い人でないと難しい仕事に思えました。手作りで、各人が同じデザインを手で描き込んでいるのですが、出来上がりは、工業製品の様にどれも同じように見え、”すごいなあ”と、感心させられました。
私は工房の責任者に対して、
①1000個を、作って欲しい。
②湯呑茶碗に描くものは同一題材だが、職人さんの自由な筆致で作って欲しい。(例えば、     漓江から見た山水画等の様に、色々な風景がある。)
即ち、1000個全部同じ模様にする必要は無く、湯呑茶碗を手作業で作ったことがお客に 分かるところに、価値がある。
③湯呑茶碗の出来上がりの状態は、ショールームで私が選んだものとする。
但し湯呑の形は、私が指示した形状のものを素焼きのサンプルとして何個か、会社へ送って欲しい。
④桐箱は運賃が発生するので、私が成都で手配するから不要。

という条件で価額を決め、次の都市、義烏(イウ)へ向かいました。

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