ビザの発給等に関わる件

わたしが中国で仕事をするに当たり、最初に取得したビザは、15日間有効な観光目的のLビザでした。このビザは旅行会社に申込み、航空チケットと共に取得しましたが、大半の方がご存じの様に、パスポートに大きなシールが貼られています。

桂林の会社へ着くと、短期の旅行ビザからより長期の滞在が可能なビザに変更するため、一時的にパスポートを社長へ預け、必要な手続きを行って貰いました。            また同時に、社長が身元保証人となり、所管する警察署へ居住地等を書いた書類を出して貰いました。

ビザには、幾つも種類がある様ですが、半年や3ヶ月の決まったビザ期間が終了となる前に、新たにビザの更新手続きを行って貰っていましたが、しばしば申請するビザの中味を変えて申請していた様です。                                 ただ私自身が、直接ビザ取得に動いた訳ではなく、全て社長にお任せだったため、自分自身が今の何のビザを取得しているのか、中味は全く不明でした。

申請書類の目的は、国際交流を目的としたFビザ取得で、外国人であるが故に出来る通訳や外国人向けのガイド等、一般の中国人では対応できない専門職等を記していた様です。

一方で就労ビザは、現地で収入を得ることができる唯一のビザですが、中国大使館で「就業許可証」を取ることなど手続きの煩雑さに加え、年齢等の中国での細かな就労要件に該当しないため、私がZビザ(就労ビザ)を取得することは無理でした。

特に中国と日本とが尖閣列島等で、両国の関係が不穏な状況になった時期は、ビザの新規取得等においても、発給の制限、ビザ有効期間の短縮、一時出国の厳格化等で、在留日本人の生活基盤にも大きな影響を及ぼしました。

しかし2年程経ち中国での生活に慣れてきたころ、桂林の日本人の仲間から駒込のGYC旅行が一番ビザが取得しやすいと聞きました。                        わたしも一時帰国した際、ビザの取得に出向きました。                 入口を入ると直ぐに小部屋がありますが、ここはただ単にテーブルとイスがあるだけの殺風景なものでした。

奥にも部屋がありそうでしたが、間仕切りで仕切られ、奥がどの様な雰囲気でどの程度の面積なのか、またそこでは中国人が何人働いているのか、全く不明でした。          そこで私にビザの取得方法について、説明して呉れるのも中国人でした。

福岡にもビザを取得しやすい会社がある様ですが、それでも仲間の話を聞くと、駒込のGYC旅行の方が一番取得しやすいとのことです。                       手数料も、特に高いと言うことはありませんでした。

これは飽く迄噂話ですが、中国大使館員が人を使い裏でアルバイトとしてやっているとの事で、他の会社で中国のビザの取得がダメであっても、GYC旅行なら取得出来るケースが多い様です。                                       日本人には考えられない事ですが、これが中国大使館員と言う国家公務員であっても、職権としての利権を上手く活用しない手はないと、考えたのだと思います。           噂とは言え、相手が中国人であるが故に、妙に納得が行きます。

福岡のビザ取得をサポートする会社も、ひょっとしたら福岡の中国領事館員が関係している可能性も考えられます。ただこちらの方は、(一度会社名は聞いたのですが)私の居住地から離れている事もあり、直ぐに忘れてしまいました。

成都の武侯区から青羊区に移り住んだ時、2度ほど所轄の警察署から、職場へ私の事情聴取に来た様です。                                    ただ私は2度ともタイミング良く不在であったため、警察官に遭わないで済みました。   職場の仲間からの又聞きでは、『60歳を超えて多額の収入を得ている日本人がいる。』との密告があったからだと警察官が言っていたそうです。

中国では50~60歳にもなるとほとんど働く人はいませんし、働いている人は経営者レベルの人ばかりです。まして日本人が、(一般の中国人からすると)多額の収入を得ている事は、見逃すことは出来ないと警察官は、判断したものと思われます。                特に当時Zビザ(就労ビザ)ではなく、Fビザ(交流・訪問・視察などを目的)しか持たなかった ことから、警察官に遭っていたら大きな問題になったかも知れません。

この話は社長の所にもすぐ行き、私も社長から呼ばれました。              社長や仲間は密告者が誰か直ぐに理解した様ですが、密告者云々より、今後も警察官が事情聴取に来ることも考えられるため、至急対策を考える事になりました。

まず私が60歳を過ぎて働いていることの違法性の確認と対策について、成都の弁護士事務所に出向き話を聞きました。この件については、精進料理店『14.弁護士の雇用』の終りの方に、成都での弁護士に相談に行ったことを書いています。これをご一読下さい。

ソウさんには店に来て貰い、建物の賃貸契約の終了を申し出ると共に、契約解除の手続きの話、契約終了に至った理由等の説明をしました。 ソウさんからは、明日自分のマンションに来てくれと言われ、彼の家に出向きました。  『九十九さんとの賃貸契約期間は5年なので、残りの4年余の賃料を全額払って頂き...

そして最後に『私が相談したことも結局のところ、相談した弁護士からは解決方法を見出せませんでしたが、社長が施策を見つけて解決して呉れました。』で終えていますので、ここに書いた最後の解決策について、少し書きたいと思います。

弁護士からは、何ら解決方法が見いだせなかったため、社長は、部下に命じ、当時青羊区にあった私の住所を、(飽く迄役所への書類の届出でしかありませんが)武侯区に移しました。(住んでいる青羊区のマンションはそのままです。)                                                               武侯区にいた頃、私に会社が借りて呉れていたマンションは既に引き払い、そこを現住所には出来ないため、恐らく社長の息のかかった所に私の現住所を変えて役所へ出した様です。  ですから私自身は、自分の書類上の現住所が一体武侯区の何処にあるのか、全く分からなかったのです。

なぜその様にしたのかと言うと、会社と私のマンションがある青羊区を所管する警察署の署長を、社長は知らなかった様です。                           署長に接触するルートも見つからなかったかも知れません。               しかし武侯区を所管する警察署の署長であれば、良く知っているから、私の現住所を武侯区に移したとのことでした。

こうすると密告があったからと言って、(形だけですが)武侯区に住んでいる私に対して、青羊区の警察官が事情聴取をすると、武侯区の警察署に対する越権行為になるからだとの説明で、改めて人脈の強さを再認識させられました。                      中国では、人脈を通じた就職のコネクションは、例え中国の最難関大学である北京大学卒や清華大学卒の学歴にも勝ると、言われるくらいですから。

そして私は社長と一緒に、武侯区の警察署長に挨拶に出向き、数人の幹部の人に会い顔を覚えて貰うことで、一件落着となりました。                        事前に社長がどの様な説明を警察署長にしたのか分かりませんが、署長にも幹部の皆さんにも、ニコニコしながら歓迎して貰ったのが、今でも記憶に残っています。

ただ当時、社長と署長や警察幹部との間で、何らかの金銭的な取引があったのかどうかは、 私には分かりませんし、また敢えて私が知る必要が無い事かも知れません。

(Visited 348 times, 1 visits today)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする