峨眉山の思い出  (5)

2006年6月18日に修復工事が完成、この年に国内及び海外の高僧,僧徒,信徒等3000人による『開眼の法要』が挙行されました。

この時の動画が『峨眉山金頂十方普賢経像 開光法會』と言うCDに収録されていた為、これを登山途中のM社長の土産物店で購入しようとしたら、3人が私にプレゼントして呉れました。

今私の手元にありますが、残念な事に規格が異なるのか或いはCDが劣化しているのか、再生することが出来ません。                                そこで中国のネットを探していたら、この時の厳(おごそ)かで晴れやかな法要の写真がありましたので、ご覧ください。                                                                                 なかなか日本でも類似の式典は、眼にすることが出来ないのではないでしょうか ?

写真等で最初に象に乗った普賢菩薩像を見た時は、金メッキで金ぴかにしていた為、違和感を感じざるを得ませんでしたが、こうして多くの僧侶が艶(あで)やかなオレンジ色の僧衣を纏って法要している姿を見ると、何となく周囲の建物や普賢菩薩像とフィトしている感じもして来ます。

特に日本より南にあるタイ、ビルマ、カンボジア、中国等の仏教寺院や仏像の多くが金ぴかであることやに加え、僧衣がオレンジ色であるのは、太陽から降り注ぐ強い直射日光が、特に寺院や仏像にあたり反射すると、更に神々(こうごう)しく見えることから、仏の力は太陽の力にも勝る、と言う宗教的な効果を狙ったものと思われます。

紛らわしいことに金頂は、CDのタイトルの中にも金頂と書かれた文字が入っていますが、実はこの『 峨眉山の思い出(5) 』を書いている途中で、以下の写真のとおり、(紛らわしいことこの上ないのですが)、金頂の中でも更に高い位置に『金頂』を冠した建物があることが、分かりました。

この建物は明の時代にオリジナルが建てられ,その後何回も焼失や破壊が繰り返され,今目にするものは2006年に建てられたものとのことです。建物は銅で作られ金メッキが施されています。

他に有名な建物として、『大雄宝殿』と『臥雲禅院』の2つの大きな建物があることを知りました。『大雄宝殿』は、華蔵寺(『大雄宝殿』と金頂の建物を所有している様です。)の一部であることから、華蔵寺大雄宝殿とも言われ、西向きに位置しています。下の写真で言うと、写真のちょうど真ん中に位置しています。

もう一つの建物である『臥雲禅院』は、華蔵寺の北側(写真では一番上)にあり、唐代(618~907年)に創建された尼寺です。建物全体が白っぽいため、『金頂(建物)』に呼応する形で、『銀頂』とも呼ばれています。日本の金閣寺に対する銀閣寺の様に、対をなしています。

但し上の写真2枚は、建物が白っぽく『銀頂』にふさわしい写真を敢えて選びましたが、他のブログを見るとどういう訳か全く分かりませんが、節操が無いと言って良いのか、同じ寺なのに、以下の様な4面の立壁が全て赤色に塗られた写真も数多く見ました。

またネットでは、『臥雲禅院』の建物の中を写した写真は殆んど無く、事務所、僧侶や関係者の休憩場所や宿泊場所等の記述もありました。

ところで、私たちが山頂に登った時は、霧が深く普賢菩薩像しか見えなく、またその時は出発時間の制限もあり、1つのお寺だけでも見学しようと建物の中に入りました。       私達が入った建物は、普賢菩薩像との距離からして、『(華蔵寺)大雄宝殿』だった様です。

 この建物の中は本来写真撮影禁止だったのですが、観光用に特別に撮影したものと思われますが、安置された仏像を撮影したものがありましたので、2枚載せます。

『大雄宝殿』の中は、入ると直ぐ前面に大きな金ぴかの仏像が幾つか安置されていましたが、昇殿を妨げる様に柵が設けられており、賽銭箱へお金を入れる人、右端の記帳簿に参った人の名前を書く人、お坊さんの指示の下で昇殿してお参りする人の3種類に分かれており、この形は日本の神社等をお参りする姿と殆ど変わらないものでした。

ただ霧の為車道が閉鎖された中でも、ロープゥェーでの登頂者も多かったのでしょう。   私が『大雄宝殿』の中に入った時も参拝者が多かったことから、お寺はお賽銭やお布施から、かなりの収入を得ているものと思われます。

お金を寄進するため偶々(たまたま)記帳する人がいたため、記帳簿に書かれた金額を覗き見していたら、200元程度から1000元、2000元と、中国の平均月間給与の1ヶ月分程度も寄進する人も目立ちました。また日本人だと、家族や本人の健康・家内安全、恋人との結婚、就職・合格祈願、仕事等多種多様な願い事を祈りますが、中国では私の知る限り、富(お金)を得て豊かになることが一番多い様です。ですから、多くのお金を得て少しでも豊かになりたいと、大金を寄進することで見返りが更に膨らむことを期待しているものと考えます。

なぜ中国人は、そんなにお金に拘るのか ?

これは、飽く迄私の独断かも知れませんが、毛沢東の1958年からの『大躍進政策』 【1958年から約3年間、中華共産党が施行した農業・工業の大増産政策。具体的には毛沢東は、向う3年間に経済規模でアメリカ合衆国・イギリスを凌駕することを目標とした。しかしその結果は、過大とも言えるノルマ設定が国内経済に大混乱を引き起こし、更に数千万人規模の餓死者を出す等大失敗に終った。】  が、人々に大きな教訓を与えたのではないかと思われます。                                      この教訓は、世代を超えて、子供や孫に語り継がれて来ていると思われます。

『大躍進政策』の当時は、米や麦などの食糧そのものの確保が個人や家族が生き抜く為の、 必須条件だったと思われますが、時代が変わり、今は生き抜く為の必須条件はお金です。権力を有しない一般の人々にとって、国の政策がどの様に変わろうと、『十分なお金さえあれば、なんでも乗り越えられる。生きて行ける。』という考え方が、広く浸透しているのではないかと思われます。

ですから度を越えると思われる寄進も、厭わないのではないかと思われます。       この様な事もあり、案内してくれた3人にワゴン車での下山途中で次の様な質問をしました。

『閉寺を除くと、お経をあげる等の僧侶が負うべき本来の日々の行に加え、信者や観光客を迎え活動している寺も多い様だけど、峨眉山にある大小の寺の全てを管理する大僧正の様なトップは、信者や観光客から日々沢山のお金が入る為、”ウハウハ”でしょうが無いのではないかと思うけど、どうですか ? 』

『中国大陸から国民党を放逐し共産党が政権を握ってからは、お寺も様変わりです。』『土地だけではなく土地に付随するお寺の大きな建物も、中国共産党の所有となりました。』『全ての宗教の管理は、国務院直下の下部組織で管理されています。このため、お賽銭, 寄進等の全てのお寺の収入は、全て国に上納され、また人事権も、宗教を管理する国務院直下の下部組織が握っています。』『特に売上等の経営者的な要素も加味され、峨眉山の大僧正の様なトップも、うかうかして居れない。』『法輪功やキリスト教も、下部組織が睨みをきかせて居ると思う。』との話でした。

また『M社長の会社は、全ての開いているお寺に土産物店を出店しているので、儲かってしょうがないのでは ? 』という私の質問に対する回答は、要約すると次のとおりでした。

『1996年楽山大仏と共に峨眉山は、複合遺産として世界遺産に登録された。      この為、国内はもとより世界中から観光客が訪れ、2000~2010年迄は、年間300万人(8000人/日)程が峨眉山に来た。                          しかし近年は世界遺産効果も一巡し、また登下山に時間がかかることから、団体観光客の訪問先としては観光のスケジュールが組みにくいことが敬遠され、200万人程に観光客が落ち込んでしまっている。                                 土産物店の売上は観光客数に比例しており、観光客の落ち込みは、当然の事ながら、売上の落ち込みとなっている。                                更に寺の中にある土産物店の建物に限らず、寺の土地や建物等は、全て国の所有下にある為、世界遺産登録後においても、何回か店舗賃料の値上げもあり、経営的にも厳しいとのこと。』

要約すると以下の3点ですが、私にとって新鮮な驚きでした。

①賽銭を含むお寺の全収入を、全て中央政府が吸い上げるシステムが採られていること。  ②更に峨眉山のトップの人事権も、中央政府が握っていること。             ③寺の土地も境内(けいだい)の建物等も、全て中央政府が管理する国有財産であること。

ところで日本でも役所と間違えやすい組織名『神社本庁』をしばしば耳にして来ましたので、今回改めて調べました。

神社本庁(じんじゃほんちょう)は神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人である。 庁が付くが、役所ではなく、民間の宗教法人である。          また神社本庁の地方機関として、「○○県神社庁」のような名称となっている。      これも、都道府県や国の機関ではない。

長くなりましたが、これで『峨眉山の思い出』を全て、終わります。

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