峨眉山の思い出   (2)

李C社長と李Bさんとの間で交わされた2社間の合作(協力)の内容は、私が知る由もありませんが、ある日李C社長が『M社長と李Bは、売上を低く計上して誤魔化している。』と私に不満を漏らしたことがありました。という事は、両社で合算して売上を計上し、必要経費を差し引いた後に、2社間で取り決めた比率に応じて利益配分をしているんだな、とおぼろげながら合作の骨格が分かりました。

更に李C社長は、(近い将来、私がM社長の会社へ移る事を心配してのことだろうと思いますが)私が李Bさんと連絡を取り合うことを止める様に言われました。(奥さんと子供さんを桂林に残している)李Bさんと私は、成都では2人共独身の身であったことから、それまでは良く一緒にサウナに行ったり、四川料理を食べに行ったりしていましたが、お互い仕事の事で情報を交換することは殆んどありませんでした。                                                                         しかし李C社長の心配も配慮し、私の方から彼にコンタクトを取ることは止めにしました。

峨眉山に登るに当たっても、彼に連絡すればすぐアレンジして呉れるという事は、分かっていましたが、自分達でなんとかしょうと考え、彼には敢えて連絡をしませんでした。              私の会社の所在地から成都の南側にあるバスセンター迄は、会社のチン運転手に連れて行って貰い、そこから峨眉山行きの長距離バスに乗換えました。                バスセンターから峨眉山の麓までの所要時間は、2~3時間だったと思います。車で会社を出発したのが朝10時過ぎだったと思いますが、バスセンター近くでゆっくり昼食を終え、バスの待ち時間等も加味すると峨眉山の麓に着いたのは、午後3時過ぎだったと思います。

予定としては、1日目は峨眉山の麓をブラブラ歩き、麓で1泊して、翌日ホテルで用意している登山地図を基に、ホテルの案内に行き方を訪ねて山頂まで登る予定でした。                     峨眉山へ行ったのは夏の終り頃だったと思いますが、流石に麓とは言え、海抜500m程度の標高があるためひんやりとした風が吹いており、観光に加え避暑地としても、最適の地に思えました。

麓は、川幅が40~50mでまた川底が浅く水量が少ないものの、川の両側が10m前後の急峻な崖によって土地が2分されていました。                        ただ実際に水が流れている部分の小川は、川幅40~50mの内の10mにも満たなく、大雨の時は別でしょうが、現状は大半が背丈が数十センチ程度の低い雑草が茂った状態でした。        即ち川の両岸の開けて賑わいとなっている場所は、全て河岸段丘の上に位置していました。

川の上流に向かって左側には、舗装された2車線ほどの道路と歩道があり、成都市内の喧騒とは違い、車や観光バスがゆっくり行き来していました。更に道路の左側には、ホテルや土産物屋が軒を並べていましたが、長年の観光収入で資金的に余裕が在るのでしょう、どこも綺麗な店構えで、街並みとしても中国にしては非常に綺麗でした。

一方川の右側は、木を材料にしたと思われる大きな建物ばかりが4~5戸立っていましたが、特に間近かに見えた2~3階建てのチョコレート色の木の建物は高級茶荘だった様で、行って見ると土産用として高級茶も販売されていましたが、こちらの懐を考えると、幾ら取られるか分からない茶荘に入ってゆつくり休憩する気持ちにもなれず、近くを散策するだけに留めました。

そうしている内にお腹が空いた為、川の左側に戻り、道路横の開放感のある店で夕食をとっていたところ、年老いた老人が直径が1cm前後の竹を切っただけの登山用の杖を10本前後手に持ち、買ってくれと言って来ました。                                                                          その風貌からして、日本人であれば体力がない80過ぎの老人に思えます。全部売り切ったたところで大した売上にはならないと思われますし、夕方でもこれだけの在庫を抱えているということは、その日は余り売れなかったのではないかと思われます。                                   弱弱しい老人の風貌、高齢にもなっても生活苦から働かざるを得ない状況を察すると、余りに不憫に思えたため、50元(日本円で800円前後)札を1枚渡しました。                         その老人は釣り銭が用意できないため非常に困った顔をしていましたが、私が釣り銭を受取る意思もまた竹の杖を受取る意思もないことを知ると、予想外の対応に感激したのか、感謝の気持ちを何回も口にしつつ、私に尻をむけることなく、後ずさりしながら去っていきました。

食事が終わったら次に、ホテル探しを始めました。しかし道路沿いのホテルは、事前予約を入れていなかったものですから、どこも一杯で宿泊出来ませんでした。           特に外国人の場合、外国人に沢山お金を使わせたいと言う中国政府の指導が徹底していて、昔は5つ星や4つ星の値段が高く綺麗なホテルしか泊まることが出来ませんでした。     しかし中国も経済的に豊かになった為か、私がいた当時は3つ星程度まで、泊まることが出来ました。

メイン通りにあるホテルは全て宿泊出来なかったため、次に脇道に入りランクの低いホテルでの宿泊を求めましたが、それでも見つけることが出来ませんでした。           ただ星の数は未確認でしたが、1つだけなんとか泊まれるホテルを見つけ、宿泊するかどうか決める前に、空いている部屋を下見しました。                     しかしそこは、部屋に1つも窓が無い上に寝具も良くなく、とても寛(くつろ)いで宿泊出来る雰囲気で無かったことから、結局止めることにしました。更に他のホテルを訪ね廻りましたが、中々当日の宿が見つからず、事前に予約を入れなかったことを非常に悔やみました。

山の冷え冷えした寒さも感じる中、どうしようもない為、夕方6時近くでしたが、成都にいる李Bさんへ電話し、窮状を説明しました。                                                                    李Bさんからは、なぜもっと早く連絡しなかったのかと怒られましたが、何とか探すから麓で待つように言われ、待つことにしました。

2時間程待ち、待ちくたびれた頃、やっとワゴン車がやって来ました。李Bさんの指示で、迎えには3人の人が来て呉れました。                                            車に乗ると直ぐ、3人が私達に自己紹介して呉れました。その内の2人は兄弟で、2人とも会うと直ぐ日本語で『九十九さん、お待たせしてすみません。お久しぶりです。』と言い、どうも私のことを良く知っている様で、また親しみを込めた話し方をするものですから、最初は戸惑ってしまいました。                                                                                             話を聞いている内に、2人とも桂林で観光ガイドをやっていた様で、そう言えば2人の内の 1人は、何となく見覚えがありました。しかし、特に何回も会って話した記憶はありません。

そしてもう1人は、M社長の弟さんでした。                       M社長に何人の兄弟がいるか分かりませんが、少なくとも兄弟全員が、M社長から離れたのではなかった様です。彼も、李Bさんの下で働いていた様です。

周囲に電灯などの明かりも無く真っ暗な中、車のヘッドライトだけを頼りに、舗装された山道を登って行きました。その時は、車で何処に行くのか皆目見当がつきませんでした。    今回このブログに書くため地図を追っていく過程で始めて、向かった先や通った道や駐車場の名前を理解出来ました。                               車は、地図で言うと左下の、峨眉山大酒店(峨眉山ホテル)等の沢山のしるしが目立つ場所で乗車し、万年寺停車場(地図の右端の真ん中ほど)で下りました。

『九十九さん、これからは歩きます。後々良い思い出になるでしょう。』と3人の内の1人から言われ、妻と私に夜間登山用のヘッドランプと懐中電灯を渡して呉れました。

万年寺駐車場からは、真っ暗な中、ヘッドランプと懐中電灯だけを頼りに、白い息を吐きつつ約1時間ほどだったと思いますが、多くの人が昼間歩いていると思われる幅2~3m程の参道を5人で登って行きました。                             ただ空を雲が覆っているのか真っ暗なので、周囲の景色は全く見えません。登山途中で灯りが点いていた2つ程お寺の前を通りましたが、上の地図には全く書かれていません。恐らくお寺の規模が小さく、観光客が敢えて見学する迄の価値は無いと、判断されたからかも知れません。

当初、峨眉山はお寺の数が余りに多い為、私は『四国八十八箇所めぐり』と同じ様に、麓に近い位置から順番に札所となる寺があり、この順番に沿って登頂して行くのではないかと思っていましたが、実際は全く違っていました。                                                                   実際個人や小グループ単位の登山は、アトランダムに自分の行きたいお寺を訪ねて、登頂していました。また観光で訪れる団体客は、スケジュールも詰まっており、ガイドが選択するお寺を見学するだけでした。

約1時間ほど速足で歩いたものの夜間の寒さもあつたためか、汗をかくことなくまた疲れも感じることなく登山し、万年寺に着いたのは、夜10時頃だったと思います。                       落ち着いた雰囲気のお寺に泊まったと言うことは感じつつも、その時から今に至る迄、万年寺という名前さえ知らなく、今回初めて宿泊したのは万年寺であったことを地図で知りました。地図では、万年寺1020mと書かれています。

その晩泊ったのはお寺の宿坊でしたが、驚いたことに宿坊であったにも関わらず、泊まった部屋自体は、重厚な造りで、ホテルで言うと5つ星に近い綺麗な部屋でした。        本来は、宿坊が僧徒や参拝者のための施設なので、もっと質素な宿坊の方が数としては多いのではないかと思われます。                              恐らく私たちが泊まった部屋は、僧徒や参拝者用と言うより、お寺としての賓客、即ち中国各地からやって来る高僧のための宿泊用では無かったかと思います。

この様な高級な宿坊から僧徒や参拝者に至る迄の普通の宿坊は、峨眉山にある大きな寺では、必ず併設されているのではないかと思われます。                                                          なぜなら峨眉山金頂(山頂にある施設が金ピカであるため、この様に呼ぶのではないかと思われます)の改修工事は、2003年から始まり2006年に完成し、この年に『開眼の法要』が挙行されました。この時、国内及び海外の高僧,僧徒,信徒等3000人が集まったと言われています。                                                                                                          峨眉山全体の宿坊の数も限られていたことから、大半の信徒は麓のホテルを宿泊施設にしたと思いますが、高僧,僧徒については、お寺の宿坊に泊まったと考えられるからです。

しかし2006年の『開眼の法要』以降、内外からの観光客も飛躍的に増えている様で、そのためお寺も例外ではなく金儲けには目敏(めざと)い中国人なので、お寺の宿坊に一般の観光客を宿泊させたり、自然の景観を壊さない様、別に観光客用の宿泊施設をあちこちに作っている可能性も否定できません。                              他のブログを見ていたら、一般のホテルもある様で、山頂に近づくほど宿泊料が高くなると書いてあるのも、目に留まりました。                          ただ私たちは車で登って行っただけなので、途中の何処にホテルがあるのか、それらしきものは見えませんでした。

暗い為ハツキリと分かりませんでしたが、宿泊した建物は崖に沿い3~4階建の様で、部屋の中に入り手荷物を置き、再度部屋の出入り口から横長の通路に出たところ、いつの間にか月が出ていました。                                                                                                       周囲が真っ暗で静寂な中、月明かりで木々の影や廊下の木製の欄干の影がハッキリと通路の壁に映り、非常に綺麗だったのが印象的でした。

朝何時に起きたかは定かではありませんが、清涼な空気と共に、崖に建物が建っていたことも在り、深緑の山々の窓からの風景は、非常に綺麗でした。                                               朝食の場所は離れにあり、お寺の関係者か信徒か不明ですが、大部屋で沢山の人が幾つもの円形のテーブルに座り、食事していました。

                      私達も、マントウとお粥の朝食を食べましたが、マントウの素朴な味が美味しかったことが、今でも記憶に残っています。

今回改めて万年寺について調べました。                        この寺は峨眉山最大の庭園式寺院で、晋代(265年 – 420年)に創建されましたが、時代の変遷と共に幾つか寺の名が改名され、万年寺という名称になったのは明(朱元璋が元を北へ放逐し建国 1368年 – 1644年)時代とのことです。

出発までに時間があった為、お寺の敷地の中を散策しましたが、ひと際目立ったのが、黄色の大きな蒙古のパオ風の建物でした。(恐らく一時代ではありますが、中国が元の蒙古に統治された時代があったことの影響かと思われます。)

この建物は『磚殿(せんでん)』と呼ばれ、中には次の写真の様な『普賢菩薩像(ふげんぼさつぞう)』が祭られています。

白象に普賢菩薩が乗ったモーニュメントは、現在中国の保存文化財に指定されています。     宋代の980年頃に建立された様で、全体で重さ62トン、高さ7メートルもあります。   これは、宋の太宗皇帝から贈られたものと言われます。                                                 写真からすると手前の供物が象の大きさを小さく見せている様で、本当にそんなに重さがあるのか疑問に感じられるかも知れませんが、高さが7メートルと書いてあるので、やはりそれ位の重さがあるのでしょう。                                                                                       しかし、日本のお寺と異なり、仏像のケバケバした感じは拭えません。

今思い出して見ても、流石に峨眉山最大の庭園式寺院と言われるだけに素晴らしい庭を持つ お寺でした。

詳しくは、以下をクリックして頂くと、沢山の写真をスライド形式で拡大して御覧頂けます。私が気に入った庭園の写真は少ないのですが、いろんな写真が見れますので、是非ご覧ください。

https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g679672-d1824429-Reviews-Wannian_Temple-Emeishan_Sichuan.html#photos;aggregationId=101&albumid=101&filter=7&ff=33320324

注)一枚の大きな写真の下の方にカーソルを持ってくると、観光客が投稿したスライド写真が沢山出て来ます。投稿なので同じ様な写真が何枚も出て来ますし、一部寺とは無関係の写真が出て来ますが、大凡の寺の特徴は掴めるかとも思います。

写真を見ると、お寺の時代を経た建物の荘厳さや人々の信仰心の厚さは感じるものの、その一方で安置されている仏像が金ぴかで安っぽく見えるのが、私を含め日本人と中国人の感覚の違いかも知れません。

食事を済ませ、散策をして時間を潰していたら、3人が来て呉れました。         再度昨晩来た道を戻り万年寺駐車場へ向かいましたが、下りでしたので、駐車場までは20~30分で到着しました。

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