Nさんのこと。

ここのところシリアスな問題を続けて書いた為、今回は少し砕けた話を書きたいと思います。

『日本へのお金の持出し(1)』で、桂林のマンションを売却し、日本へ現金を持ち帰ったKさんのことを書きましたが、そのKさんから聞いた日本人のNさんのことについて、2つ程書きたいと思います。

(話題1)

私が桂林に来た時はNさんは既に桂林を離れ、他の都市で仕事をしていた様で、私自身会って話をしたことはなく、顔も知りません。                        Kさんは、Nさんが桂林に居た時、良く会って雑談していた様です。            当時Nさんは、恐らく70歳を多少超えた位の年齢だったと思われます。Nさんには、年が離れた40歳代の中国人の恋人がいた様で、Nさんの世話は、全て彼女がしていたとのことでした。桂林を離れた後も、ずっと2人で一緒に行動していた様です。

KさんにNさんの性格について聞くと、「竹を割ったような性格」即ち、男らしく気性のさっぱりした性格というのが、Kさんの評価でした。                    『この性格が、彼女を引き付けているのかも知れない。』とKさんは言いました。

またkさんの話では、Nさんは日本では「テキヤ」(縁日や盛り場などの人通りの多いところで露店や興行を営む業者のこと。警察白書では、暴力団の経済活動の一つと書かれている。 )をやっていた様です。                                 ウィッキペディアで「テキヤ」を調べると、漢字では「的屋」と書くことを初めて知りました。Kさんは高倉健の映画の様に、Nさんの背中の刺青が何だったのか教えて呉れたものの、 私は自分でNさんの刺青を見た訳ではないので、特別の印象もなく直ぐに忘れてしまいました。

ある時KさんはNさんから、左右両方の脇腹に10円玉大の、周りの皮膚の色とは違い、黒ずんだ傷跡を見せてもらったそうです。(私自身が見たわけではないため、ハツキリした位置は分かりません。)

写真は、脇腹の写真をネットで探したもので、弾痕の正確な位置は不明です。       赤丸は私が付けたものではなく、単に脇腹の位置を示したものです。

Nさんの話では、ヤクザの争いごとで銃弾が片方からもう片方に貫通した痕とのことです。Nさんは、『どうだ、凄いだろう。右左の脇腹を弾が貫通しても、俺は元気に生きている。』と言い、不死身であることをKさんに自慢していたそうです。

Kさんも『凄いなあ。』と感心しつつ、この様に不死身の人間が身近にいたことを、私に話してくれました。しかし私は、『それは、嘘だと思う。第一両脇腹を貫通するとなると、複数の内臓に対して、それぞれの銃弾の入口と出口の両方に穴を開けたり、貫通させることとなる。そうなると元通りに回復させる為の手術を同時に沢山行わないとダメだ。こんなことが本当に可能とは、とても思えない。                             正面から背後に向かい、肩を銃弾が貫通したケースは聞いたことがあるけど・・・・・。』、『恐らくNさんが、皮膚の表面から1cm未満の深さで、右わき腹と左わき腹の両方に傷を付けて、これを弾痕に見せかけたのでは ? 』と、『また正面から撃たれてたとしたら、手術箇所は1~2個の臓器の入り口と出口や貫通箇所だけなので、まだ助かる可能性も大きいと思うけど・・・。』と、否定的な意見を言いました。

Kさんも私の説明を聞き迷いが生じた様で、少し小さな声に変わり『そうかも知れないな。』と言い、そこで『ヤクザの勲章』の話題は終わりました。

(話題2)

日本側は田中首相、中国側は周恩来首相の両首脳が調印した日中国交正常化の共同声明は、  1972年でした。また日本のバブル期は安定成長期の1980年代後半から1990年代初頭の  好況期でした。

私が桂林で仕事をしていた頃、中国人の会社の部長が良く言っていました。

『昔は、本当に良かった。私が店の店員をしていた頃なんか、日本のお客が、中国油絵,掛塾,墨絵,陶磁器,骨董品,宝石等を沢山買ってくれた。』日本人の団体ツアー客の中には、大勢の人の前で店員に対し、『ここからあそこ迄の掛塾は、全て俺が買う。 だから他の客は、手を付けるな !』と言って沢山の掛塾を買って貰ったことも、あったそうです。

当時は、日本の景気も良く観光客の懐も豊かであったし、また相対的に中国貨幣の価値が低く円の価値が高かったことから、今でいう爆買いを多くの日本人観光客が行っていた様です。 言わば、昨今の中国人爆買いそのものです。

Nさんに関する事件が起こったのは、日本のバブル崩壊の後遺症による落ち込みから抜け出せずデフレの言葉が蔓延していた2005年前後ではなかったかと思われます。       ですからこの頃は、日本人観光客の財布の紐も、締まり勝ちだったと思われます。              当時Nさんも観光客相手に、掛塾,墨絵,陶磁器,骨董品等を売る土産物店の店員として働いていたそうです。(ただその時勤めた都市が、桂林か、成都か、北京かは、Kさんから聞き逃しました。)

日本人観光客の一団が、中国人ガイドの案内で、Nさんが働く店にも立ち寄った時の事だそうです。トラブルの原因を作った男性観光客には、当時の中国人の生活レベルが日本人と比べ、大きく劣っていたこともあり、経済的な豊かさを根源とする優越感もあったのだと思います。日本語が出来る若い中国人女店員に対して、商品の説明を素直に受けるに留まらず、逆に女店員をからかう様な仕草が幾つもあり、女店員が泣き出しそうになったそうです。

それを少し離れた位置からずっと見ていたNさんが、突然日本人客の前面に出て、こっぴどく怒ったため、男性観光客が震え上がったそうです。昔取った杵柄(きねづか)である「テキヤ」の本領発揮と言うところでしょうか。男性観光客自身も、若い女性店員をからかったと言う、負い目もあったのでしょう。                             その客は、結果的にNさんから沢山の土産物を買わされる羽目になったとのことでした。

中国人の女店員を揶揄(からか)う様なことを、日本の観光客が頻繁にやっていれば、Nさんの出る幕も多かったのでしょうが、日本人観光客はおとなしくまた礼儀正しい人が多く、通常トラブルらしいトラブルは、殆どありません。                                                                ですからNさんに対して非常な恨らみを持ったその客が、マスコミに情報を流したのだと思われます。

或いはその観光客は、ひょっとするとマスコミ関係の仕事をしていた人かも分かりません。 と言うのも、通常であればまず主催した旅行会社に、クレームを持ち込むべき案件だと思われるからです。その様にしなかったのは、何か理由があるはずです。

『やらせ』の台本も、出来上がっていたのでしょう。                  当時はスマホ等がまだ無い時代です。                         日本のテレビ局の人が、ショルダーバッグに穴を開けて隠しビデオカメラをセットし、また 観光客を装った男性(無名のタレント)が、わざと店の女子店員を挑発することでNさんを登場させて、同様の顛末を撮影した様です。

私自身がそのテレビを見たわけではないためハツキリ断言は出来ませんが、テレビ視聴者を意識し、Nさんを登場させるため男性が女子店員を挑発し困らせている場面は意図的にカットする等、都合よく企画に合せ編集した上で、放映している可能性が大きいと思われます。

その録画したものが後日テレビ番組として放送されたものですから、ツアーを企画する旅行会社が知るところとなり、そこから旅行会社と土産物店、土産物店とNさんとの間で、いろいろ後始末の打合せがあった様です。                           結局Nさんはその土産物店を直ぐに首になり、他の都市で働かざるを得なくなったそうです。

Nさんのやり方にも問題はあるでしょうが、視聴率を取るために『やらせ』の台本を作ってまで、場面を再現させようとするテレビ局のやり方にも、疑問を感じます。

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