技術流出 (1)

バブル景気(1980年代後半から1990年代初頭)真っ盛りの30年程前の事だったと記憶しています。
たまたま東京の浜松町の本屋で、一攫千金ならぬ『一攫万金』というタイトルの本を見つけ、面白そうだったため、買って読みました。(残念ながら、今は手元にありません。)中身の大半は、当時東証へ上場していたグラフティック㈱の事でしたが、以下の印象に残った2つの事例以外は、内容の大半は忘れてしまいました。

2つとも当時日本が、「産業の米」とも呼ばれ、当時世界の市場を席巻していた半導体についての話でした。

当時九州は、NEC、東芝、三菱電機、沖電気等の日本をリードする半導体工場が集中し、生産規模を競っていました。
各社とも自社の製造技術が、ライバルメーカーに流れることを極度に警戒し、工場内への立入も許さない状況でした。

一方で当時のサムスン、LG、ハイニックスなどの韓国の半導体メーカーは、日本の半導体技術と比べると1~2周回遅れでまた研究開発費も少なく、将来的にも日本の技術に追いつくだけでも、至難の業と思われる状況でした。

そこで韓国のメーカーが目を付けたのが、これら九州の半導体工場の中堅技術者でした。
40歳前後の中堅技術者は、賃貸や社宅を卒業しそろそろローンを組み自宅を持ち始める時期に加え、子供の学費も増え始め、人生設計の中でも経済的に一番苦しい時期です。
韓国の半導体メーカー各社は、この世代を中心に技術者を絞り込み、競って韓国でのアルバイトに声を掛けました。(さらに、特殊技術を持つ人をヘッドハントすることも芽生え始めていました。)

韓国メーカーの囁(ささや)きは、次の内容です。
金曜日の定時後、熊本空港から韓国まで飛行機で飛び(飛行時間は、片道1時間程度)、土、日と韓国で半導体製造技術の指導し、日曜日の夜飛行機で帰国すると言うスケジュール。
2泊3日のアルバイトで、80~100万円(あくまで記憶ですが、記憶違いでも大きな金額の差はないと思う。)とハニー・テンプテーション(甘い誘惑)。

当時日本の中堅技術者にとっての最大のライバルは日本の半導体他社だけであり、日本の他企業に自社の秘密情報を漏洩することは後ろめたさも感じるものの、1~2周回遅れの韓国メーカーに情報を流すことは、全く後ろめたさを感じなかったこと等が、実際にアルバイトした技術者へのインタビュ―の結果が書かれていました。

もう一つの話は、某一流会社の工場長のことが書かれていました。ただし『一攫万金』の本の中には、名誉棄損で訴えられることも考えてか、具体的な社名と個人名は書かれていませんでした。

その話は、次の通りです。                              当時の最新設備を備え新しく作ったばかりの九州の半導体工場、そこの工場長へ人を介し、韓国の半導体会社から、技術的な助言を欲しいので、韓国の工場へ来て欲しいとの話がありました。

その工場長は、恐らくプライべートジェット機でただ1人で招待を受けたと思われます。  なぜなら本には、『工場長が飛行機のタラップを降りると、赤絨毯が敷かれ、その赤絨毯の両側には等間隔で子供達が訪問を祝し、踊ったりl歌ったりしていた。まるで国賓を迎える様な歓迎ぶりだった。』と書かれていたからです。                      工場長の自尊心を擽(くすぐ)るには十分すぎる程の、国賓級の歓迎が準備されていたのだと思われます。

その工場長は、日本より周回遅れのサムスンの半導体工場を一通り見学し、意見を述べた上、数日間韓国の観光地も巡り、帰国した様です。                     本にはその工場長が受け取った謝礼金は書いてありませんでしたが、滞在中のハニー・テンプテーション(甘い誘惑)で、弱みを握られてしまったことが書いてありました。

その工場長が帰国後、数か月後にサムスンのトップから、『当社の極秘の最新設備を見て頂いたのだから、今度は御社の最新設備を見せて欲しい。』と言って来たそうです。      工場長は、マスコミや会社関係者にリークされると困る弱みを握られていたためでしよう。仕方なく相手の要求を飲むことにしました。

工場長は、自分ひとり見学に行ったため、韓国からは経営陣数人を受け入れる程度は仕方が無いと判断した様です。ところが、見学者は工場長の予想を大きく超え、サムスンのトップだけではなく10人前後の技術者を伴い、新工場の見学に来たそうです。そして『関係者以外出入禁止』の場所にも何の遠慮もなく入り込み、無数の写真撮影をして行ったそうです。

写真は、製造工程における機器の配置、設置されている機器の製造メーカー・型番などを中心に、写真の撮り放題で、製造ノウハウが堂々と盗まれ機密が丸裸にされるのに対し、工場長自身が弱みを握られている状況では、何も止める手段が無かったのでしょう。

サムスン側は、この工場の設備を丸裸にしたので、当然のことながら各装置メーカーに声を掛けて、自社にも同じ設備を設置することは可能です。一通り同様の設備工事が終わったら、半導体製造上のノーハウ即ち、温度、湿度管理、機器のコントロール方法を知る為、見学した工場の中堅社員に土、日のアルバイトの声を掛けたことは、想像に難くないと思われます。

こうして長年、研究開発に時間とお金を費やして結実した日本の最先端の技術やノーハウが、いとも簡単に流出して行きました。

その後日本の半導体メーカーは、同程度の性能でありながら、人件費等で製造コストの安いサムスンと熾烈な競争に突入し、結局負けました。一番差が付いたのは、サムスンがスケールメリットを求め、汎用半導体工場の大型投資を行ない製造コストの大幅低下に成功したのに対し、日本の半導体メーカーは近い将来、需要と生産のギャップが生じるのではないかと心配し、大型投資を控えたことでした。

製造コストの大きな差は、その後の半導体市場での勢力図を激変させ、韓国の2番手、3番手メーカーにも敗れ、結局日本の半導体メーカーは、特殊用途に絞った半導体を開発し生産することしか、生きる道がなかったのではないでしょうか。

後日その工場長は、そのままその会社のトップとなり、文化勲章受章者にもなりました。  たまたま私が日本経済新聞の紙面で連載されている『私の履歴書』を読んでいたら、本人が韓国に行き、国賓待遇の歓迎を受けた事迄が書いてあり、その内容が私が本で読んだ内容であったため、この男が日本の半導体の製造技術の技術流出に手を貸した男なのかと理解し、その時名前を知りました。

ただ今は会社名は覚えている(前述した九州の半導体工場を有する会社の中にあります。)ものの、『私の履歴書』を執筆する人も多く、時間も経ち名前は忘れてしまいました。

現状、今後の成長が期待される有機EL製造技術(一番最初にソニーが開発・製品化)も、産業の米である半導体の技術開発も生産も、日本と韓国の立場は逆転しましたが、何とかこの分野でも技術立国日本を復活出来ることを願っています。しかし投資金額が兆の単位近くまで膨れ上がって来ている様で、残念ですが、どうしても悲観的にならざるを得ません。

現在アップルと競合しているサムスンが販売しているギャラクシーシリーズのスマホも、半導体の売却で得た多額の利益が、巨額の研究開発費として再投資され、日本のスマホメーカの技術力も、遥かに抜き去ってしまいました。

序でながら、http://www.sankei.com/affairs/news/170418/afr1704180028-n1.htmlの記事も、韓国に技術情報が流れて行った事件です。

これはポスコの社員が、中国の鉄鋼会社に機密情報を売ったことが会社に分かり、裁判にかけられますが、その社員が『売った技術はポスコのものでは無く、新日鉄住金の製造技術だ。』と発言したことから、玉突きの形でポスコと新日鉄住金との間で裁判沙汰となったものです。仮にポスコの社員の発言が無かったら、新日鉄住金は、ポスコへの情報漏えいについて、何も知らなかったか、市場に競合製品が登場したことで、技術漏えいの疑念を払拭出来なかったことになります。

この様な事実を幾つか知るにつけ、有機EL(パネル)の製造技術も早い時期に、九州での半導体の技術流出と似た方法で、ソニーの技術者からサムスンやLG等の韓国企業へ機密情報が渡ったのではないかと、疑わざるを得ません。

また、こんなニュースもあります。品種改良イチゴの韓国流出、マスカット苗木の中国流出

http://news.livedoor.com/article/detail/14213549/

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