コスモスよ、
私が初めて、お前に出会ったのは、
私が子供のころ、庭の竹垣の中だった。
お前は、私の童心を掻き立てるかの様に、
庭の雑草のプリンセスたるを失わなかった。
お前は、実際美しかった。気品があった。
お前は、秋になるとあちこちから、
ホワイト、ピンクと言った具合に
私に顔を見せてくれた。
私は、お前の可憐で、純な姿に魅せられもした。
しかし、お前も私から次第に遠ざかって行った。
仲間の減少と共に。
庭の隅にでも自己主張してきたお前が、
全く見られなく、影も形も無くなったと気がついたのは、
ブロック垣の庭だった。
それと共に、私も現実の世界へと引き摺り込まれ、
お前の存在を今に至るまで忘れていた。
しかし私は、今日小倉の郊外でお前を見た。
だがお前は、私が子供の頃のお前ではなかった。
周りの雑草に遠慮して窮屈そうに、
丈低く、花だけは可憐であったけれど、
何かしら疲れているお前を見た。
ブルドーザーの騒音の中に消えゆくお前の運命を見た。
こんな姿のお前を見るなんて、
お前に会わない方が良かった。
しかし疲れたお前に会えたのは、
幼いころのイメージを強く私に与えてくれたからだ。
だからこそ、この暗い激動の世に、
希望という童心のイメージを私に与えてくれた様に、
お前の美しさを昔みたいに咲き誇り、
人々の疲れた心を癒しておくれ。
そしてコスモスよ
私をロマンチストと言わせておくれ。 (昭和45年/1970年)